筆者の感覚だとここ15年くらい、テレビ局内のこうした「リスク管理」意識は強まる一方だ。背景には、ネット社会を中心に強まって来たテレビ局批判がある。これまで可視化されてこなかった批判が一気に噴出し、それが増幅されてきた歴史がある。時にはいわれない理由でバッシングが起きることもある。フジテレビの韓流押し批判など、その最たるものだが、身に覚えがなくてもいとも簡単に世論は沸騰する。そしてテレビ局の評価は下がる一方だ。

 そうした批判にテレビ局自身が鈍感だったことも不幸だった。局員がネットに疎く、時代の流れを読めなかったことが、事態を悪化させた。そして、局内に、「無駄に批判を招くような番組は自粛しよう」という空気が蔓延した。「自粛」は言い換えれば「委縮」と取られる。

 現在、筆者はクライシスマネジメントの仕事にも関わることも多いが、企業の「リスク管理」意識は今、大きく変貌している。ネット社会において、企業のレピュテーションは簡単に毀損する。企業は批判や攻撃を防御するだけではなく、「攻め」が必要な時代になっている。テレビ報道は「委縮している」という批判に甘んじたくなければ、「攻めの報道」をしなければだめだ、ということだ。

 キャスターの首をすげ替えただけで、批判が消え去ると思ったら大間違いだ。むしろ逆だろう。批判に立ち向かうためには、番組内容を変え、むしろ批判に答えていかねばならない。具体的には、キャスターと番組が一体となり、国民的関心事、例えば憲法改正や原発問題、政治とカネの問題などに対する提言を積極的に放送するとか、継続的に「調査報道」を行う、などがそれにあたる。口先批判などと揶揄できないほどのクオリティと確固たる報道姿勢が前面に出すことが、批判に答える唯一の道だ。

 しかし、テレビ局はキャスターを代えたことでお茶を濁し、ニュースのバラエティー化に邁進している。それは「自主規制」や「委縮」というより、「怠慢」に近い。地上波では「ハードなニュースを流しても数字(視聴率)が取れない」などと思っているなら、それは大間違いだろう。現に、硬派の報道番組の代表格であるBSフジ「プライムニュース」などはしっかりと視聴者に支持されているではないか。それはBSだから、という言い訳は、実際に地上波でやってから言ってもらいたい。間違った「リスク管理」の名の下に、何もしない=不作為は、筑紫哲也氏ではないが、報道の死を意味する。

 「報道の自由」が毀損している、との批判は、政府の圧力よりも、報道する側の「委縮」と「怠慢」が招いている。その自覚がないとなれば、そうした批判に甘んじて生きるしかないのだろう。