サヨクやリベラルが唱えている反差別という正義 


 映画は少女時代のうさぎのジュディが主役を務める「人権啓発劇」から始まる。「大昔肉食獣は草食獣を捕まえ食べていた。しかし動物たちが進化した今、みんな仲良くズートピアで暮らし、うさぎでも警官になれる、誰でもなりたいものになれる」と。しかしそれを見ていた狐の少年ギデオンは、彼のいじめを止めようとしたジュディを「昔俺たち狐はお前たちうさぎを食っていたんだぞ!」と脅して襲い、「お前なんかが警官になれるわけがない」と言い捨てる。

 最初にこの場面を見た我々観客は、「強者である狐のギデオンが、弱者で草食獣である主人公のうさぎのジュディをいじめた!ひどいやつだ!」と感じてしまうに違いない。だが……

  それ、見事ディズニーに騙されてますから!

 自分は差別や偏見とは無縁だと思い込んでいたあなた、見事に肉食獣差別主義者ですから!

 この映画は差別について直接には多くのことを語らない。セリフの表面だけ聞いていたら「ズートピアが語る真実」について何もわからず終わる。逆にさりげないポスターや風景などの描写に実は極めて重要な意味が込められているので注意深く見る必要がある。

 例えば、冒頭にジュディが故郷の田舎町の駅で両親と275匹の兄弟!とさらに親類縁者に見送られズートピアに旅立つシーン。普段善良な父親が「肉食獣、特に狐に気をつけろ!」と差別心丸出しで娘の身を案じる。そして気付かない観客が多いと思うが、町の看板をよく見ると、うさぎの人口はなんと810万匹以上表示されている!我々は「田舎町」という言葉に対する偏見で騙されてしまっているが、これでは近代都市ズートピア以上の「州」いや「国家」だ。そもそも町名からして「バニーバロウ(うさぎの巣穴)」であり、うさぎこそが支配種族なのである。

「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 大ヒット上映中
「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 

 実際人権啓発劇のシーンを思い起こすと、ジュディは両親兄弟一家総出で娘の観劇に来ているのに、狐のギデオンはひとりぼっちだ。客層もギデオンとその友人の計2匹以外は全て草食獣。この町において肉食獣は圧倒的マイノリティなのである。しかもうさぎたちは狐を差別し一緒に仕事をすることを嫌っているという描写もある。つまり、ギデオンの親は無職あるいは低所得非正規労働者である可能性が高い。そして息子と一緒に町のお祭りの観劇に来られないほど祝日も忙しいか、あるいはネグレクトされている可能性さえある。ギデオンが草食獣の子供たちから奪ったのも、彼らが来ていた「にんじん祭り」の屋台で使える金券らしい。ギデオンの親は、息子にお祭りで楽しむ小遣いさえ与えられぬ境遇なのである。

 ギデオンがジュディを脅した文句にも注意する必要がある。肉食獣が進化し草食獣を襲わなくなったこの映画の世界において、ギデオンがジュディに用いた「昔俺たち狐はお前たちうさぎを食っていたんだぞ!」という脅しが成立した理由は何か。決して狐の凶暴な本能とうさぎの臆病な本能が理由ではない。二人が反差別政策としての人権啓発劇を見せられたからだ。劇のせいでギデオンは「そうか、貧しく仲間も少ない弱者の自分でも、昔のご先祖は強かったのだから、豊かで数が多い強者のうさぎたちを脅せるのか」と学んでしまった。ジュディだって劇を見せられなければ、ギデオンに「食っちゃうぞ!」と脅されても「え?動物が動物を食べるなんてどこのホラー映画のお話?」とでも感じるだけで、怯える理由など何もないのである。つまり、日本やアメリカでもサヨクやリベラルが唱えている反差別という正義のお題目が、ズートピアにおける差別や偏見、いじめや対立を作り出していたのである。

 そうしたことを踏まえると、「強者である狐の乱暴者ギデオンが、主人公の弱者で草食獣であるうさぎのジュディをいじめた」という解釈がいかに偏見にもとづいた間違った思い込みであったかということに気付くだろう。詐欺師ディズニーが巧妙に隠していた正解は「強者のうさぎに差別され親にまともな職もなく家庭でネグレクトされてきたマイノリティの狐(黒人)が、差別的な草食獣(白人)による偏向教育で脅迫の方法を学びそれを武器にし抵抗した」というものなのだ!