誰かが唱え続ければならない理想。
その代弁者としての”ディズニー”


「みんな仲良くしよう」「お互いの違いを認め合おう」―。

 この手のデモや集会を横目で見るたびに、「何を馬鹿な」「夢想的だ」「偽善ではないか」という批判が飛び交う。かくいう小生も、確かにその批判には一理あると思う。

 言うや易し行うは…、とはよく言ったもので、近所の河原でリア充どもが集団でBBQや花火をやっているだけで眉間に皺を寄せる小生にとって、「多文化共生」は美辞麗句、欺瞞・偽善の象徴たるフレーズかもしれない。
「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 大ヒット上映中
「ズートピア」(C)2016 Disney. All Rights Reserved. 大ヒット上映中
 しかし、世界から、例えそれが到底実現困難であるとしても、理想をいう人がいなくなったら、どうなるのだろうか。「現実主義」とは名ばかりの卑小で卑屈な理論だけがまかり通り、今日と明日のカネ勘定(そして晩飯の献立と貯金額の計算)だけが支配する殺伐とした世の中になろう。そして小生に言わせれば、その卑小な損得勘定こそ、「戦後レジーム」の正体そのものである。

 小生は到底実現困難であるとしても、憲法改正と対米自立という「夢想」を言い続けたいと思っている。自分の生きている間は無理でも、その子孫、またその子孫の時代にそれが実現されたとすれば、自らの言動は後世の歴史家の手によって、歴史の中に記憶されるであろうから、と固く信じるからだ。

 ディズニーも同様である。「多文化共生」をいくら『ズートピア』で訴えたところで、現実は変更されない。ウサギが飛び跳ねるフルCGアニメが上映される傍らで、ガザ地区ではイスラエル軍のロケット攻撃によって無辜のパレスチナ人が死んでいる。子供が死ぬ。赤ん坊が死ぬ。アラブ青年はユダヤ人への報復を誓って自らの体に爆弾を巻いて自爆攻撃を仕掛ける。負の連鎖である。

 彼らにとっては先進国の空調の効いた何不自由ない劇場で乱舞する、歌って踊るウサギやガゼルやバッファローよりも、目の前の生と死、そして憎悪こそがリアルだ。

 だが、言い続けなければならない。誰かが理想を。理想の世界を。その役割を担っているのが、小生はディズニーであると信じる。