体罰で育った自分は駄目人間?(野口)
一度でも荒れた教壇に立てば…(野々村)


野口 もう一つ、体罰で忘れられないのは、私の学校にあった謹慎部屋のこと。何か問題を起こすと寮から出されて、そこに閉じ込められるんです。

野々村 そんな部屋があるんですか? 今の日本だったら許されないな。生徒を廊下に立たせることすら禁じられていますから。

野口 生徒虐待としてマスコミから猛バッシングを受けるでしょうね(笑)。しかし、心が荒れていた当時の私にとっては、なくてはならない空間だったように思う。一人で閉じ込められ、反省文を何枚も書かされ、やけになって壁に拳を打ちつけたこともあります。だけど、そのとき感じたコンチクショーの気持ちが精神を強くしてくれた。卒業してからも、エベレストに行く前や失敗したあとに学校を訪ねて、この謹慎部屋に泊まらせてもらうことがあるんです。自分の拳の跡がくっきり残っていて、それを見るたびに、よし頑張ろう、という元気が湧いてくる。だから最近のマスコミ報道で体罰は駄目だ駄目だと全否定されると、その体罰で育ってきた私は何なのか、よっぽど駄目人間なのかと無性に腹が立つんです。
野々村 テレビで「体罰では何も変わらない」とコメントする評論家たちは、学校現場を知らないのですよ。「どんな子でもじっくり話せば理解し合える」などと呑気に言う人は、一度でいいから荒れた学校の教壇に立ってみたらいい。

野口 おそらく十分も持たないでしょうね。

野々村 五分だって怪しい。教室には、言わなくても分かる子、言わなくちゃ分からない子、言っても分からない子がいます。重要なのは、言っても分からない子とどう向かうか。彼らが騒ぐのを止めさせなければ授業が成り立たず、真面目な生徒にも被害が及ぶ。教育は力です。圧倒的な存在感です。一般論や世間体より、何としても教師が生徒の上を行かなければならない。

野口 同感です。しかし最近の学校現場は、むしろ逆の方に向かっている。私が今、日本の教育について最も懸念しているのは、先生と生徒の関係が上下ではなく“おともだち”になっていること。最近は小学校でも、男女を問わず先生が生徒を「さん」付けして呼ぶ。一方、生徒は先生に敬語を使わず、ほとんどタメ口。それを先生は怒るどころか、私たちはこんなに仲がいいんですと保護者にアピールするんです。

野々村 教育の場になっていませんね。

野口 なっていません。大人と子供の関係ですらない。しかし、生徒が本心から“おともだち”の先生を望んでいるかといえば、決してそうではないと思う。私は、学校の記念行事などの講演に呼ばれることが多いんですが、落ちこぼれのイメージがあるためか、荒れた学校の依頼が多いんです。講演する前から校長先生に「うちの生徒は人の話を黙って聞けない。不愉快なこともあるだろうが堪えてほしい」と伏線をはられて、体育館に入ってみるとギャーギャー状態。近くに座っている先生方に、アイツら何とかして下さいと言っても、何もできないでいる。

野々村 情けない…。「静かにせんかい」と叱り飛ばす教師は一人もいなかったんですか?

野口 萎縮している先生が多いですね。一応、騒いでいる生徒のほうへ近づいていく先生もいるのですが、「引っ込め」と言われて戻ってしまうこともある。結局、私の方がキレてしまい、マイクで思いっきり生徒を殴りつけたり、おしぼりを固く丸めて投げつけたりします。すると会場がシーンとなって、やっと聞く姿勢になるんです。講演が終わると、騒いでいた生徒が謝りに来る。ほかの生徒からも私のホームページに、「怒鳴った大人をはじめて見ました」という書き込みが多数寄せられる。子供たちは、本気で叱ってくれる大人を望んでいるんですよ。それが分かっていないのはむしろ先生たちの方で、帰りに校長室に寄ると、ああいうことをされては困りますと、ブツブツブツブツ言われるんです。