英霊を敬えぬ国家に未来はない(野口)
体罰より戦後教育を全否定せよ(野々村)


野口 「死」を直視してこそ「生」を学ぶ…。なるほど、その通りですね。私の実体験に照らしても強く共感します。過去に何度か死ぬ思いをしてきましたが、平成十七年にヒマラヤで悪天候に閉じ込められた時は、さすがにもう駄目かと思い、テントの中で無我夢中で遺書を書きました。でも、この遺書は果たして家族に届くのだろうか、私の遺体を誰かが見つけてくれるのだろうかという思いがよぎります。そんな時、戦場で亡くなった日本兵のことが頭に浮かびました。日本兵のご遺骨は今も戦地の土中にある。きっと日本に、祖国に帰りたいに違いない。そうだ、もしも私が生還できたなら、遺骨収集を行おうと、心に決めたのです。
野々村 野口さんが遺骨収集に尽力されていることは知っていましたが、その背景に、死と隣り合わせの壮絶な体験があったのですね。

野口 以来、小中学校の講演に呼ばれると、いろいろなエピソードの一つとして遺骨収集について触れることにしています。先生方からは、「イデオロギーに絡む話はちょっと…」などと渋い顔をされることもありますが、国家に殉じた方々のご遺骨を収集し、慰霊するのに右も左もない。何より子供たちが真剣に耳を傾けている。ある小学校では講演後、生徒代表の六年生が「野口さん、兵隊さんのために遺骨を収集して下さり、ありがとうございます」とスピーチしてくれたこともあります。

野々村 色眼鏡のない子供たちの、そういう反応は嬉しいですね。遺骨収集に子供たちを連れて行くこともあるんですか?

野口 そこまではまだ…。ただ、先日インターネットで参加者を募り、沖縄の洞窟内での遺骨収集ツアーを企画した時は、予想以上に若い方々が集まってくれました。中には高校生もいて、「学校はどうしたんだ?」と聞くと、「先生に相談したら『授業より大事なことが学べるからそっちに行け』と言われました。お金はアルバイトで貯めました」と答えてくれた。そんなメンバーだから意識も高い。洞窟内のご遺骨の一部は、米軍の火炎放射器でやられているから黒こげなんです。それを手に取ると、自分の「生」を、「命」を、強く感じざるを得ない。同時に英霊への感謝の気持ちが溢れてくる。命の教育の本質が、ここにあるのではないでしょうか。国家のために死んでいった人たちを敬えない国家に未来はありません。

野々村 私と全く同じ意見だ。自分が今あるのは先人のおかげ。先人に感謝し、後世に感謝される「生」を生きなければならない。それは理屈ではありません。子供たちに必要なのは、体罰の全否定ではなく、理屈だらけの戦後教育の全否定なのです。

ののむら・なおみち 昭和26(1951)年、島根県生まれ。広島大学卒業後、広島県の府中東高校に赴任し、野球部監督に就任。昭和54年春のセンバツ甲子園出場を果たす。63年に松江第一(現・開星)高校に赴任し、野球部の初代監督に就任。同校を春2回、夏7回の甲子園出場に導く。平成24年に退任後は教育評論家として活躍。著書に『やくざ監督と呼ばれて』『にっぽん玉砕道』。
のぐち・けん 昭和48(1973)年、アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学卒。故植村直己氏の著書に感銘を受けて登山を始め、25歳で当時の7大陸最高峰世界最年少登頂記録を達成。現在はエベレストや富士山での清掃登山など環境保全活動につとめるほか、日本兵の遺骨収集活動に取り組む。著書に『落ちこぼれてエベレスト』『自然と国家と人間と』『それでも僕は「現場」に行く』など。
(※iRONNA編集部注:肩書き等は『月刊正論』掲載当時のものです)