投げる専門で打たないことが、闘争心の発現を制御しているとすれば、プロ野球界は大切な核心を自ら放棄していることになる。試合後の大谷のコメントがまた的を射ている。

 「セ・リーグの投手なら当たり前のことですから」

 そう、大谷をまるで超人みたいに報道するが、DH制のないセ・リーグの投手はみな打席に立つ。ただし、よほど限られた場面以外では「打つ気なし」が当然。打てなくても責められないのが当たり前になっている。それも本当はおかしい。

 プロ野球の投手は、打撃練習をする余裕はない、打撃に意識を向ける余力はない、という常識が、投手が打席に立つセ・リーグでさえ蔓延している。それは「野球のレベルが高いから」とも言えるが、観客に「最初から三振とわかっている勝負を見せる」という明らかな手抜き行為でもある。

日本ハム・大谷翔平が右安打を放つ=6月5日、東京ドーム(撮影・矢島康弘)
日本ハム・大谷翔平が右安打を放つ=6月5日、東京ドーム(撮影・矢島康弘)
 それが長年通用してきた背景には、「投球と打撃は別の技術だ」という共通認識があるからだ。それこそ実は、日本の野球のレベルアップを阻害している。心技体の基本は同じ。投球練習は打撃練習に通じ、打撃は投球に通じる。だからこそ、高校野球のエースは打撃もいい。大谷翔平に限らず、横浜高・松坂投手も豪打で知られた。イチロー選手、楽天・松井稼頭央ら、高校時代は投手だった打者も多い。これは「エースになるほどの選手は運動能力が高いから打撃もいい」と理解されがちだが、もっと重要な事実がある。「投球と打撃の技術が通じている」、それを忘れて「投手は投球練習に専念すべきだ」という短絡的な発想で投手にただ楽をさせている。ファンがもっと声をあげ、「プロ野球でも投手はもっと打撃に意識を向け、高校時代は中心バッターだった片鱗を見せて欲しい!」と求めるべきだろう。

 大谷翔平はその先陣を切って「プロ野球でもできる」ことを実証している。二刀流を大谷翔平の専売特許にするのでなく、第二、第三の大谷が次々出現し、「可能性を持つ投手は打って当たり前」、日本のプロ野球がさらに活気付くことを期待する。

 プロ野球選手では投手と打者の両方できないことが「プロ野球のレベルの高さ」を証明する共通認識のようにされてきた。いま我々はその幻想がファンを欺く茶番だと気づく時期ではないだろうか。

 メディアもファンも、大谷を怪物に仕立てる努力以上に、まずは「セ・リーグの投手がもっと真剣に打ってくれ!」とけしかけるべきだと思う。そうすれば、野球はもっと面白くなる。セ・リーグの投手なら、それは今日からできる変革だ。