筆者は、危険な紛争地の取材であっても、ちゃんと日本に生きて戻り、現地の状況を伝えるまでが仕事であると考えている。しかし、万が一、紛争地で死ぬことになっても、それは職業上のリスクにすぎない。
片足を失ったガザのジャーナリスト。むしろ現地の記者こそ危険度が高い。アル・クドゥス放送提供
片足を失ったガザのジャーナリスト。むしろ現地の記者こそ危険度が高い。アル・クドゥス放送提供
 SNSやインターネットが発達した現在、ぶっちゃけ現地の映像や写真はネット上でも得られないでもない。しかし、こうした映像や画像も、そこで撮っている人間がいることを忘れるべきでない。昨夏のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻では、現地のジャーナリストが16人死んでいるのだ。安易に「現地の映像や画像を使えば」という主張には、強い憤りを感じる。

 また、志葉も含め、外国人ジャーナリストが取材中に殺される可能性があるのだが、外国人ジャーナリストの方が殺されない可能性が高い場合もある。筆者自身、イラクで取材中に米軍に不当拘束されたことがある。誤解が解け、筆者は数日で釈放されたが、もし筆者がイラク人記者だったら、酷い拷問をされていただろう。実際、そうした拷問を受けたイラク人記者が筆者の友人にもいるのだ。

 日本のメディアや社会の、日本人の命至上主義にも疑問を感じる。たった今も紛争地で犠牲となっている、あまりに多くの罪の無い人々の命より、日本人ジャーナリスト一人の命が重いかと言えば、それは違うだろう。だが、これまで、日本のメディアがどれだけ、シリアやイラクの惨状を伝えてきたのか?どれだけ多くの人々が関心を持ってきたのか?

 思うに、ネットで気軽に報道された情報を得られるようになってから、情報というものがどのように得られるのか、わかっていない人々が多くなったような気がする。情報はタダではない。それなりにリスクをおかし、経費も時間もかけて、取材の中で現地との人脈もつくって、ようやく得られるものなのだ。

 後藤さんのケースで言えば、日本政府は「救出に全力で取り組む」フリをしただけだ。実際には常岡浩介さんや中田考さんらのISISとのパイプを活用しなかったし、ISISが後藤さんのご家族にメールしていたのに、そのメールを使っての交渉も「一切しなかった」(今月2日午後の菅官房長官の会見での発言)。

 結局は「自己責任」ということなのだろうが、それならば、より一層、政治家や官僚が「報道の自由」に口出しするべきではない。まして、メディアがそうした取材活動の制限に関わるのは、本当に愚かしい「メディアの自殺」なのだ。(志葉玲氏ブログ 2015年2月3日分を転載)