角さんは道路と新幹線を遮二無二、つくりまくった。その過程で超大土地成金となった。そのカネで派閥を拡大し、子分数で総裁の座を獲得した。私は岸信介時代の末期に政治記者となったのだが、官界も政界も「田中角栄氏が総裁になることはない」と断言していたものである。理由は「叩けばホコリが出る」「官僚出身ではないからだ」という。官僚出身者がカネにきれいだったのは、官界に天下りがおり、財界に同期が居座っているから、ひと声かければカネはいくらでも集まったからだ。しかしそのカネで邸宅を建てるとか、自分のために使うなどはしなかった。池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫といった首相が住んでいた家はどれも官僚時代につくったままのみすぼらしい家だった。生活態度にも謙虚さが滲み出ていたが、角さんにはその種の教養のかけらもなかった。心はガサツそのものだった。こういう人はいくら権力をもっても尊敬する気にはならない。
昭和45年8月、福田赳夫蔵相(左)と田中角栄自民党幹事長が、長野県のゴルフ場でゴルフ・マッチ
昭和45年8月、福田赳夫蔵相(左)と田中角栄自民党幹事長が、長野県のゴルフ場でゴルフ・マッチ
 角さんがいまの日本を想定して、国土づくりに励んだと石原氏は見ているようだが、私にはそういう理想家だったとはとうてい思えない。当時は日教組の全盛時代で、偏向教育がまかり通っていた。いま安倍晋三氏は偏向の元となってきた教育委員会を改革して、将来的な手を打ったが、角さんの手法は「人材確保法」をつくって教員の待遇を2割増やしただけである。「カネを増やせばデモは収まる」というのだ。日教組は革命家を育てる、という意思で運動している。そういう意思をもった者が、カネで折り合いをつけるわけがない。偏向教育がまかり通る仕組みを変えることこそ重要だったのだが、角さんは「余分にカネをもらってデモをするはずがない」と考えるのである。

 総理になった角さんは、財政資金はオレのものとばかりに使いまくった。道路族や鉄道族の言いなりに予算をつけまくった。途端に猛烈なインフレに襲われ、政府は3割もの賃上げをせざるをえなくなった。政財界に強烈な角栄非難がほとばしった。慌てた自民党幹部は福田赳夫氏を担ぎ出して蔵相(現財務相)に据えた。福田氏は“角福戦争”で負けた側で角さんを嫌っていたが、それどころではないという非常事態だった。蔵相として担ぎ出された福田氏が下した診断は「日本経済全治3年」というもので、財政支出を締めてインフレを3年でぴたりと収めた。

 政治はしょせんカネで片がつくものだが、その裏に“精神”がないと、収まる話も収まらない。