不可解な調査検証時の外務省


 しかし、そこに至るまでの歴史議連・南京問題小委員会の調査に対し、外務省は〝資料隠し〟とも言える不可解な行動に終始した。

 戸井田議員が今年二月九日、南京問題小委員長に就任した直後、外務省に対し、南京戦前後の国際連盟決議および議事録の提出を求めたが、同省は戸井田議員が質問に立った同月二十一日の衆院内閣委員会までに、〝読める状態〟での資料提出をしなかった。このため、戸井田議員は内閣府を通じて、「第百会期国際連盟理事会」議事録の原文を入手したのである。

 しかも、中国が主張する「南京での虐殺と暴行」が決議に採択されたか否かについて、戸井田議員が外務省に問い合わせたところ、担当者は、「私の一存では答えられない」の一点張り。戸井田議員が再度「二十一日の内閣委員会で質問するから答えられるようにしておいてください」と申し入れると、ようやく観念したのか、同日の午前四時半になって和文タイプで打った旧字の「決議文」がファクスで送られてきた。彼らはいったいどこの国の公務員なのだろうか。

 さらに、戸井田議員が「旧字の決議文」だけでなく、口語文に翻訳された全文の提出を求めたところ、外務省は「これだけしかありません」と回答している。ところが、再び、内閣府に問い合わせてみると、「第百会期国際連盟理事会」の議事録を翻訳した当時の外交文書が出てきたのである。これでは、「外務省を信用しろ」という方が無理であろう。

 「歴史議連」の南京問題の調査は、さまざまな角度から検証を試みた結果、「南京攻略戦は、通常の戦場以上でも以下でもない、と判断するに至った」と総括したのである。

 この総括文書の反響は、常識的に判断できるところに説得力があった。

 それは、「世田谷区よりも狭いところに、朝日新聞一社だけでも約八十人(毎日は約七十人)の取材班が出入りしていたとなると、電信柱一―二本が倒れても気が付く取材精度を維持していたと推察される。(略)戦後、新聞労連の活動を熱心にしていた朝日と毎日の数人以外、南京で〝虐殺〟があったと語ったものはいない」との記述だけでも、「やっぱりなかったんだよね」と言ってくれた方もいる。

 平成十九年六月十九日の歴史議連記者発表の挨拶で、当時会長だった中山成彬元文部科学相は「嘘と欺瞞が世界を席巻することになれば、近代国家の宝である自由と民主主義にとって危機的状況になる(略)。いま米国、カナダなどで作られている南京に関係した政治宣伝映画を見過ごすことはできない」と指摘した。

 さらに「明治五年、横浜に停泊中のアメリカに向かう奴隷船マリア・ルーズ号の船長を裁判にかけ、監禁されていた中国人苦力二百三十人を解放して、中国に送り返した」ことなどを実例に示して、十九年当時に米下院で審議中だった慰安婦に関する日本非難決議案に苦言を呈した。