強いられた偽証「コレラ作戦」


 各人の「認罪」がおおむね終った後、「グループ認罪」へと移る。グループ全員が認めた事件がまったくの虚偽と証明されたら、多数の証言は何を物語るのだろうか。

 ―昭和十八年九月、五十九師団独歩四十四大隊が駐留する山東省の臨清(りんせい)一帯は連日の雨つづきであった。八路軍に手を焼く日本軍は絶好のチャンスと捉え、「衛河(えいが)」と呼ぶ幅数十㍍の運河を決壊させ、農民を根こそぎ抹殺しようと企てた。これに先立ち、日本軍はコレラ菌を付近一帯に散布した。狙いどおりコレラが流行すると大部隊を動員し「コレラ作戦」を開始した。村に行ってはコレラ患者を追いたて、コレラが発生していない村に患者を追い込む作戦である。そうすればコレラが蔓延し農民を根こそぎ絶やせるからであった。衛河決壊作戦とコレラ作戦の結果、犠牲者は二万人とも二十万人ともいう膨大な数に上った―

 以上は『三光』所収の難波博少尉の「手記」と『天皇の軍隊』が描く事件の骨格である。数人の部下とともに、哀願する農民の目の前でみずから円(えん)匙(ぴ)(小型シャベル)をもって堤防を決壊させたと証言するのは小島隆男少尉(機関銃小隊長)で、「八千人強制連行」を証言した小島中尉と同一人物である。この出来事の証言者として、少なくとも十四人が供述書に書き残している。

 この話はでっち上げである。衛河が決壊したのは事実で、コレラ発生も事実である。だが、決壊は増水による自然決壊で、それどころか日本軍は決壊を防ごうと奮闘したのである。この年はコレラが大流行、山東省各地から満州に向かった労働者を通して、撫順や他地区に飛び火した。

 矢崎賢三見習士官(歩兵砲中隊)の供述書で、大隊長から決壊命令を受けたと書かれた蓮尾又一第二中隊長は「全く噴飯もので天地神明に誓って『ノー』である。そのような話は聞いたこともない。命令を受けたことは絶対にない」と否定、同じように名指しされた中村隆次第五中隊長も「とんでもない嘘で笑止千万である」とし、望楼付近の水漏れを発見したため兵士が防ごうとしたのだという。
日本軍が衛河を決壊させたなどとする偽証を「噴飯ものだ。そんな命令はなかった」と証言する蓮尾又一第2中隊長(右から2人目)ら独歩44大隊のOB。左端は田辺氏=平成10年4月
日本軍が衛河を決壊させたなどとする偽証を「噴飯ものだ。そんな命令はなかった」と証言する蓮尾又一第2中隊長(右から2人目)ら独歩44大隊のOB。左端は田辺氏=平成10年4月
 決壊を防ごうとしたことは、小島少尉の部下である金子安次(兵長)が『天皇の軍隊』ではからずも証言しているのである。金子ら二十人は望楼の周囲に掘った壕を補強するため、土嚢(どのう)を作り、飯も食わずにフンドシ一つで作業をする。三時間の後、「川が切れたぞ」という日本兵の叫び声を聞き、「やっぱりカーブに当たるところがやられたんだな」と金子の脇でだれかが言ったというのである。だが、機関銃隊員の金子は大隊長の命令で「破壊活動に参加し、円匙で五十㌢堤防を切り崩した」と書き、「コレラ菌を散布せよとの命令を受けた」とも供述書に書いている。

 小島の長年の部下で、「八千人強制連行」に関わる両者会談に同席した内田行男軍曹(前出)は、『天皇の軍隊』の小島証言に対し「なぜ、そんな証言をするのか」と電話で抗議した経験を持つ。話が全然違うからだという。「いくらなんでもそんなことやりませんよ」と同様に否定するのは、同じ中国戦犯だった新村隆一兵長(大隊本部)である。何度か会って直接話を聞いた。このほか作り話とする根拠は数多くある。

 だが、小島中尉は「私たちは七三一部隊とも協力しました。コレラ菌を対象地域にまきました」と茨城県つくば市で講演するなど、とどまることがなかった。その要旨が『証言・731部隊の真相』(ハル・ゴールド、廣済堂出版)に取り上げられ、世界に拡散していくのである。