相互批判と誘導「告白」で総崩れ


 星野幸作軍曹(六十三師団独立歩兵第八十七大隊)の記録が残る。軍曹は同大隊の戦友会によくでていたというが、私が参加したときは体調不良とのことで会えなかった。

 呼蘭収容所の生活は不潔の一言で「水の不便と南京虫には泣かされ」、皮膚病に手を焼いたという。これといった取り調べもなく、退屈な日々を手製の麻雀などで過ごす。撫順にもどって嬉しかったのは一年ぶりの風呂だった(以降、入浴は週一度)。最初のうちは高粱(コーリヤン)と粟、二年目頃より米の飯が与えられた。ソ連時代のように「空腹を抱えて」といったことはなく、腹一杯食べられたのは嬉しいことだったと記している。かわら生産など軽作業(佐官級以上は免除)と学習をしながら過ごしていく。
現在も建物が保存、一般公開されて反日プロパガンダの舞台になっている旧「撫順戦犯管理所」
現在も建物が保存、一般公開されて反日プロパガンダの舞台になっている旧「撫順戦犯管理所」
 二年余が経過したある日、全員が屋外に集められた。壇上に上がった所長から、中国人民を何人殺し、どんな被害を与えたのか、「即ち、『焼く』『殺す』『犯す』等々を何処でどうして行ったか」を書いて出すよう指示がでた。「やっぱりくるときがきた」と思ったものの、所長の態度から深刻に考えなかったという。

 昭和二十八年九月中旬、再び全員が集められ所長が壇上に立った。いやな予感がしたという。「中国人民は君達のような帝国主義思想の持ち主は絶対に許さない。(略)中国人民は君達を招待したのではい。勝手に中国に乱入したのだ。そして我々の同胞を殺し、極悪非道の犯行を平気でやってきた。(略)その重大な犯罪を中国人民は許すと思うか。お前達を殺すも生かすも中国人民の権利であり、自由意志である」。

 話し終わった所長の顔は真っ赤だったと星野軍曹は記している。先々を思うと目の前が真っ暗になる。無言のまま部屋にもどると集会が開かれ「民生委員」が選出される。そこで、「認罪運動」を秘めた学習方法が提唱されたというのである。ソ連抑留と違って、見たこと聞いたことなど「事実の晒しあい」で、いつ自分が槍玉にあがるかわからないため命の縮まる思いをしたという。

「学習」「討論」「認罪」の繰り返し、これが自分の運命を決する問題と知りながらも、その心境をどう表したらいいか「言葉さえ見つからない」と書いている。数カ月後、再び「供述書」の提出を命ぜられ、紙切れ一枚残さず提出した。

 二十九年四月、抑留者にとって忘れられない日が訪れた。その日の所長は「今日の私が閻魔様に見えるか、それとも仏様に見えるかは、君たち自身が決めること」だといい、真面目に学習し思想改造している者には仏様に見えるはずだと話す。

 また、認罪とは素直に自分の罪行を認め、「焼く」「殺す」「犯す」の重大犯行を具体的に書き出すことだというのである。そして、真面目に学習したという数人が壇上に立ち、みずからの「犯行」を告白した。

 初めに立ったのは宮崎弘中尉(三十九師団二百三十二連隊、機関銃中隊長)。ハルビンで先行教育をうけた十四人の一人でアクチーブであった。宮崎は全身を震わせ、涙とともに自らの残虐行為を告白する。内容は、部落襲撃のとき、老人子供を銃剣で刺殺、逃げ遅れた妊婦を裸にして皆の前で刺殺したというのであった。

 呉浩然は、認罪態度のよい宮崎弘に「全所の戦犯の前で、認罪・告白・摘発の模範的発表をさせた」とし、「身をもって説く典型的な発言は、強烈な影響力があり、その他の戦犯認罪にしっかりした推進作用を引き起こした」と書いている。

 この告白は他の日本人にとって衝撃であった。宮崎の告白は機関銃中隊長のできる所業ではないという醒めた見方もあったが、大勢は一気に「認罪」へと向かったのである。二カ月後、「徹底した綿密な工作によって」、尉官級以下四千余件の摘発資料、上司や他者の罪行一万四千余項目を摘発したと呉は記している。

 こうして上官や他者の犯罪資料をも獲得し、個人の認罪から「グループ認罪」へと進めていった。二十九年五月頃のことである。グループ認罪は同じ部隊の者十余人一組となって行う。各自が順に「坦白」を行い、「自己批判」と「相互批判」を通じて共通の「認罪」に到達させるものであった。こうしてグループに共有された罪行をもって佐官、将官級に認罪を迫るのである。

 この過程を富永正三中尉(二百三十二連隊第十中隊長、元中帰連会長)は次のように説明している。

 仲間から「まだ隠している」「殺される被害者の無念の思いがわかっていない」等の声があがり、食事もノドを通らぬ状況も出、自殺者まででた。「この深刻な命がけの自己批判と相互批判の学習が数か月」つづき、将官、佐官の場合はさらに長くつづいたという。そして「内容が検察官の資料と一致し、改悛の情が認められてやっとパスする」のだといい、この命がけの学習を経て「鬼から人間に立ち帰った」と強調する。こうして告白したものを「ウソ」とは何事かと言うのである。