「自筆供述書」「手記」の内実


 こうした経過の後、彼らが残した「証言」を三分類するとわかりやすいかもしれない。

 第一は、検察官による取り調べの末に書いた「自筆供述書」である。供述書は中国と折り合いのいい新聞社や学者らを通して散発的に日本で紹介されてきた。

 平成十年四月、有罪となった四十五人分の「自筆供述書」を、中帰連とつながりの深い報道写真家・新井利男が中国から入手、朝日新聞社と共同通信社に持ち込んだ。新井の目論見どおりだったろう、朝日を含めた四十五紙が報じ、十七紙が一面トップ扱いの報道だったという。

 この時点における生存者はわずか四人と朝日は報じている。わけても、すでに他界していた鈴木啓久中将の供述書に、「慰安婦強制連行」の記述があったため注目を集めた。

 そして十六年経過した平成二十六年七月、中国中央公文書館はネット上に四十五人全員の「自筆供述書」を全ページ写真版で公開した。さら
に二十七年八月、金子安次(五十九師団機関銃中隊、伍長)ら三十一人の供述書(一部)を公表した。

 三十一人は女性を見ると見境なく強姦、輪姦し、多くの兵士が彼女らを殺害する残忍さだ。この供述書公開は韓国との共闘が視野にあってのことだろう。また世界記憶遺産登録の狙いもあるだろう、八百余人分、百二十冊、二万六千㌻の『供述書選集』を発行すると中国メディアは報じた。
撫順戦犯管理所で有罪とされた日本軍将兵45人の「供述書」について、3面にわたり大々的に報じる平成10年4月5日付朝日新聞。共同通信も「供述書」の内容をそのまま報じ、地方紙などに大きな影響を与えた
撫順戦犯管理所で有罪とされた日本軍将兵45人の「供述書」について、3面にわたり大々的に報じる平成10年4月5日付朝日新聞。共同通信も「供述書」の内容をそのまま報じ、地方紙などに大きな影響を与えた
 二番目は「手記」である。手記は取り調べが終了し、判決を待つ間に「有志」が書いたとされ、昭和三十一年に十五人の手記を編んだ『三光』が発行された。三光とは殺光、焼光、奪光(搶光)を指す中国語で、「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」の意である。「生体解剖」「細菌作戦」「毒ガス攻撃」「労工狩り」などあらゆる犯罪行為を当事者として語っていた。編者の神吉(かんき)晴夫は想像を絶する行為だと言い、「いくら戦争といっても、私たちの同胞が、こんなことまではたしてできるのだろうか。しかし、残念ながらこれが事実なのです」と書き、疑う様子はない。

 だが、書名となった手記「三光」からして、部下が読めば「作り話」とわかるように書いた小田二郎少佐の苦心作なのである。「問題の手記『三光』の隠されたシグナル」(月刊「正論」平成十年十一月号)に報告してある。

 時をおいた昭和五十七年、中帰連は現状を「急激な右傾の道をたどる情勢」と認識、自らの手で『新編三光 第一集』(カッパブックス)を発行した。前回の『三光』と同様、十五人の手記を掲載したもので、銃剣で妊婦の腹を裂く「胎児」、農民の生き胆を取り出して食う「群鬼」など、相変わらずのものであった。本多勝一が「まえがき」を書き、作家の野間宏は「胎児」を信じ込み、井上ひさしも「日本民族を鍛え直す研(と)石(いし)である」とする推薦文を寄せている。

 この年は「教科書誤報問題」が起こり、文部省の教科書検定の是非などをめぐって騒がしかった。前後して吉田清治の『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』、ベストセラーとなった森村誠一の『悪魔の飽食』も発行され、この後も手記集の出版はつづいた。