慰安婦強制連行と人肉食のデタラメ


 中国は鈴木啓久中将の強制連行を認める供述を「決め球」としているようだ。中将は帰国後、『中北支における剿共(そうきょう)戦の実態と教訓』『第百十七師団長の回想』という長文の手記を残している。この二編は供述書の検証に貴重な資料となる。「強制連行」は二カ所でてくるが、ほぼ同一内容なので第二十七歩兵団長時代(少将)の方を紹介しよう。

「私は各所(豊潤、砂河鎮其の他二、三)に慰安所を設置することを命令し、中国人民婦女を誘拐して慰安婦となしたのであります。其の婦女の数は約六〇名であります」

 二十七歩兵団は支那駐屯歩兵一―三連隊を主力に構成された。第一連隊の戦友会会長・内海通勝は「軍が慰安婦狩りなどやるわけがないよ」といって戦友会ともども調査に協力してくれた。当時、鈴木少将の副官であった炭江秀郎は、慰安婦狩りを行ったとする冀(き)東(とう)作戦の作戦命令すべてに目を通してきたとし、「歩兵団長の意向を受けて作戦命令を起案、裁可を得る。副官の側印がなければ作戦命令は出せない。だから、慰安婦狩りが事実なら知らないわけがない」と否定する。

「冀」は河北省の別称である。炭江の次に副官をつとめた森友衛も「その事実はない」と否定し、他の十九人も結論は同じであった。

 鈴木中将は「謹厳実直」「古武士風」であったと森副官は形容し、酒、タバコとは無縁、夜の食事前に謡をうたうのが常だったという。また、習字や読書で過ごすことが多かったと炭江は百十七師団史『大黄河』に思い出を寄せている。

撫順戦犯管理所で撮影されたとみられる鈴木啓久中将
撫順戦犯管理所で
撮影されたとみられる
鈴木啓久中将
 中将は会津若松出身、義和団事件(北清事変)で連合国から賞賛された柴五郎中佐(後に大将)と同県人であり私淑していたようだ。二編の手記に慰安婦記述はない。

 平成二十七年八月、中国国家档案局は特集「慰安婦 日本軍性奴隷文書選」をネット上に公開した。その一つに文献テレフィルム「『慰安婦』 日本軍の性奴隷」と題した十五分ほどの動画がある。英語のナレーションと字幕がついているから、アメリカなど英語圏で流すのが目的だろう。ここに「強制連行の証人」二人が登場する。鈴木中将と絵鳩毅軍曹(五十九師団独立歩兵四十四大隊)で、中将は供述書、絵鳩は本人の録画証言である。絵鳩は語る。

 「それは捕虜の中の一名の女性が、ある下士官の慰安婦に連れていた。それが索格荘の駐在が長くなって、食べ物に若干苦しむようになったとき、彼はその女性を殺害しその肉を食べ、自分で食べたばかりでなく中隊に、今日は大隊本部から肉がわたったから(と)ごまかして、それを中隊の全兵隊に食べさせたという噂をききました」

 この証言は、噂話を聞いたものだが字幕に訳されていない。中国はこうした尉官、下士官級の証言を丹念に記録していて、絵鳩証言は他の七人とともに最近公開された。「ある下士官」というのは榎本正代曹長(旧姓新井、同師団百十大隊)である。

 この話は『天皇の軍隊』(朝日文庫)と『私たちは中国でなにをしたか』(中帰連編、新風書房)の双方にでてくる。榎本は『天皇の軍隊』の主要な証言者で、強姦など当たり前、満期除隊になる兵士の土産話にと農夫を捕まえ「野菜包丁で胸から腹まで絶ち割って見せた」といった猟奇的告白が目立つ。証言の真偽は両者の記述の違いから与太話と見当がつく。およそ、実体験では起こりえない相違があるからである。

 ―終戦も近い昭和二十年四月の秀嶺作戦中、伊藤誠少尉の率いる第二中隊はある山村に宿営する。宿営三日目、指揮班長の榎本曹長は誰にともなく「今日はもう肉類が全然なくなっちゃったんでどうするかなあ」というと、伊藤少尉は「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と榎本をのぞき込むようにいう。少尉は宿営中の部落から娘を連れてきた。少尉が後ろから娘を「突き飛ばすのと、曹長の短剣が娘の胸を刺すのと、ほとんど同時だった」と本多勝一は書く。二人は短時間で処理できる太ももを切り取り、スライスして油で炒めると全隊員七十人に配った―以上が『天皇の軍隊』の記述である。
人民日報ネット版の絵鳩毅軍曹の記事を2015年8月15日に転載した香港・蘋果(りんご)日報系ニュースサイト。「1956年に中国が釈放した日本戦犯の絵鳩毅は、2013(平成25)年に訪ねた中国の研究員に対し『山東である下士官が一人の少女を無理やり自分の慰安婦にし、後に殺してその肉を食べた。大隊本部から肉が支給されたと言って中隊の全員に食べさせた』と語った」などとある。
人民日報ネット版の絵鳩毅軍曹の記事を2015年8月15日に転載した香港・蘋果(りんご)日報系ニュースサイト。「1956年に中国が釈放した日本戦犯の絵鳩毅は、2013(平成25)年に訪ねた中国の研究員に対し『山東である下士官が一人の少女を無理やり自分の慰安婦にし、後に殺してその肉を食べた。大隊本部から肉が支給されたと言って中隊の全員に食べさせた』と語った」などとある。
 後者になると話が違ってくる。まず、娘は榎本が二日前から慰み者に連れていたのだが、何とか処置しなければと思っていた。「このまま殺してはつまらない」と思い娘を裸にして強姦、包丁で刺し殺すと手早く肉を切り取る。それを動物の肉のように見せかけて盛り上げ、指揮班を通じて全員に配る。兵隊は人間の肉とも知らず久しぶりの配給に喜び、携行していた油で揚げたり焼いたりして食べた―というのである。

 伊藤中隊長の姿が、後者にはでてこない。二人で密かに殺害、料理をしたというのにである。短剣と包丁の違い、娘についての違いも明らかだから説明は省く。大体、中隊長が隊員の副食をつくるなど、軍隊経験者なら信じやしない。

 念のため百十大隊の隊員にあたった。秀嶺作戦に参加した工兵の萩原広松は「娘を食ったなどとんでもない。『天皇の軍隊』など誰も信用していない。自分たちが一番よく知っている」と歯切れよく話す。伊藤中隊に所属したことのある第三中隊小隊長・都筑健一は「無辜の人間を食用にすることは如何に隠密裡に処理しても必ずわかります」とし、噂にも人肉食の話は聞いていないという。

 ばかばかしい話と一笑に付してはいけない。ある著名な精神科医は「信じ難い残酷さだ」としながらもこの話を信じてしまい、日本人の「罪の意識」を感じる能力の乏しさを嘆く例もみられるのである。米欧人が信じないわけがない。