創作「労工狩り」「うさぎ狩り」


 平成五年五月、NHKは行方不明だった「外務省報告書」発見とトップニュースで報じた。つづく八月十四日、NHKスペシャル「幻の外務省報告書─中国人強制連行の記録」を放送し、同名の本を出版している。いわゆる「河野談話」が八月四日で、新聞もテレビも「慰安婦強制連行」であふれた時期である。国民はまたかと思ったことだろう。もっともこの報告書は知られていたもので、例えば『草の墓標─中国人強制連行の記録』(新日本出版社、昭和三十九)などで取り上げられていた。

 昭和十七年十一月、東條内閣は国内の労働力不足を補うため中国人労働者の移入方針を閣議決定した。これにより「約三万九千人が日本国内に連行され、炭鉱などで過酷な労働を強いられるなど約六千八百人が死亡、連行の際に強制半強制という事実が浮かび上がった」という。歴史教科書の「四万人強制連行」はこうした記述に基づいたものである。

『中国人強制連行』(西成田豊、東京大学出版会)はこの報告書を含め多角的に言及した分厚な研究書である。まず、強制連行の証言者として大木仲治、大野貞美、榎本正代(前出)の三人が登場し、「労工狩り」「うさぎ狩り」などと呼ぶ日本軍の悪逆な作戦が語られる。この「労工狩り作戦」は労働力調達のほかに目的があったとし、「作戦展開地区を無人地帯に近い状態につくりあげ」ることによって、抗戦主力である華北民衆の力を根こそぎ奪うことだったと著者は断定する。

「無人地帯」は三光政策の一環で、「中国人皆殺し作戦」だと主張する日本人学者もいる。三人の証言は多くの本に引用される。だが、三人が中国戦犯であった事実を書かない本があり、この書もその例にもれない。私の知るかぎり「うさぎ狩り作戦」の証言者は十四人を数えるが、ことごとく中国戦犯であった。

 大野貞美曹長(六十三師団)の証言を見ると、昭和十七年十月頃、北支部隊の一万人以上が山東省の一角に集まって包囲網を作り、部落に放火し「十八才から四十五才ぐらいまでの男という男を」全部ひっくくったのだという。

 ところがである。「私は中隊にいて実際作戦に参加していなかったが」と大野は証言しているにもかかわらず、肝心のこの部分が引用されてないのである。

「うさぎ狩り作戦」が事実かどうか、小島隆男中尉(五十九師団独歩四十四大隊、機関銃中隊長)の「八千人強制連行」が創作と証明された例をあげれば、あとは見当がつく。

「私はね、この強制連行では実際に中隊長として山東省で作戦をやったんです。この作戦では八千名の方を捕まえたんです」とし、意の向くまま虫けらのように捕らえては殺したと証言する。秋田放送「風の叫び─中国人強制連行のいま」の一コマで、平成六年一月末に日本テレビ系列で全国放送された。
NHK「〝戦犯〟たちの告白 撫順・太原戦犯管理所1062人の手記」(平成元年8月15日放送)で「日本軍の悪事」をかたる小島隆男中尉。NHKもこうした話を事実であるかのように垂れ流した
NHK「〝戦犯〟たちの告白 撫順・太原戦犯管理所1062人の手記」(平成元年8月15日放送)で「日本軍の悪事」をかたる小島隆男中尉。NHKもこうした話を事実であるかのように垂れ流した
 小島によれば、「うさぎ狩り作戦」は総勢数万、一個中隊が四㌔横隊になり、直径三十二㌔の包囲網を作る。機関銃や大砲を撃って包囲を縮め、各隊の進み具合を調整するために飛行機を飛ばす根こそぎ作戦という。

 これに反発したのは四十四大隊の戦友会である。会長の千葉信一中尉(第四中隊長)は小島と盛岡予備士官学校の同期で戦後も行き来があったが、そのような命令を受けたことも作戦に参加したこともないと明言する。千葉が小島と連絡をとり、小島側三人と千葉側七人が面談した。小島側から大河原孝一(元中帰連副会長)、千葉側からは小島が中隊長であった全期間部下だった内田行男軍曹も同席した。

「八千人の強制連行が中隊長のときとあるが、そのようなことを私は知らないが」と千葉が問うと、小島は「それは四十四大隊のときではなく、第十二軍予備隊付きのときである」とアッサリ証言を翻す。「それではウソではないか」と糺(ただ)すが答えはない。「八十人の間違いではないか」と言う千葉に対して、八千人は第十二軍が流したものだと小島は説明した。

 八千人という数は、おそらく第三次魯東作戦(昭和十七年末)の戦果「遺棄死体千百八十三、俘虜八千六百七十五」(防衛庁戦史室、『北支の治安戦2』)から得た知識だと推測するが、これは武器を持つ兵と兵との戦いであった。包囲作戦は日本軍がよく使った戦法で、証言者が農民狩りに作り替えたのだろうと思う。

 大木仲治軍曹については、抑留中に「労工狩り」と題した手記を書き、手記集『三光』に収められた。このため引用される頻度が高い。昭和十七年の博西作戦で、大木軍曹が所属する池田第三中隊長の「土百姓(どんびやくしよう)どもを一人も残さず全部捕まえる」の怒号のもと百五十人の農民を、大隊で二千人を捕らえ日本や満州に送った―というのである。

 大木証言に対して、同じ千葉県出身で同年兵の染谷鷹治は「我々は承知しているからいいが、一般人が読めば真実と受け取ります。正すべきです」と調査に協力してくれた。染谷は平成二十六年八月放送のNHKスペシャル「いつまでも夢を」に出演、シベリア抑留で苦労を共にした作曲家、吉田正の想い出を語っている。染谷は中国送りを免れ帰国した。

「強制連行や万人坑問題は、華北や『満州国』に関して論じられることが多いが、華中にも視野を広げることが求められている」(杉原達『中国人強制連行』 岩波新書)とあるように、強制連行は万人坑と結びつけられる危険性が大きい。中国は満州への強制連行数を三百万人とも四百万人とも言っている。