「薄幸の被爆者」から「憎む被爆者」への転換


開沼 なるほど。文化論を離れて、政治や外交の話としてみれば、核・原子力は常に外交の力関係を見る上で欠かすことができない要素にもなっていますね。

山本 そうです。安全保障外交に関わる人や政治家にとっても、「隣国が核を持ったらどうするのだ」と、最強兵器としての核を話題に持ってくれば、何でも論破できるような大きい話になる。その意味でも、日本で戦後から現代を生きている人たちにとって、マジックワードというかキーワードです。多くの人が言論の場で利用できる「資源」として、核は有用だったと言えると思います。

開沼 マジックワードとしての核・原子力は今後も続くと思いますか。

山本 再稼働の問題や、隣の中国がどんどん作っているということを取り上げながら、おそらく続いていくのでしょうね。
開沼 北朝鮮が最も先鋭的な例ですが、これから新興国が力をもつにつれ、北朝鮮のような手法は使わないにせよ、核・原子力に関わりたい、関わる中で国際社会の中で存在感を確立しようとする、そうせざるを得ないという状況がある。これは核保有国・原発保有国として私たちが認識しているところだけを議論していても足りないレベルでの普遍的な話です。例えばスリランカでは、原発はもっていないが原子力技術を育てようとする動きがあって、日本に留学生が来ていたりするんですね。なぜなら、隣のインドがこれから原発たくさん作るからです。中国と台湾みたいなもので、インドとスリランカでは常に権力のバランスの均衡が調整されています。例えば、もし原発事故が起きたときの自分たちへの影響などを考えて、潜在的に原発に関する技術や知見をもっておかなければという話も出てくるわけです。

 やはり、人類の近代化と、核・原子力の関係は非常に密接です。そうであるが故に、科学者でも非常に難しいといっている問題なのにも関わらず、私たちはマジックワードのようにそれを使い、文化的な表現をしたがる状況があるのですね。

 そして、その中で生み出されるステレオタイプ・紋切り型が常にある。例えば、山本さんのご著書の中では、「薄幸の被爆者」という定型パターンが使われるという話が印象的でした。