山本 そうですね。1950年代以降、映画の「難病もの」の系譜に、「薄幸の被爆者」、つまり、弱々しい被爆者が位置づけられている。イメージとしては、観客はわかっていて観に行くのに、吉永小百合が死んでかわいそうと皆で泣くような状況です。1950年代の貸本漫画にも、「薄幸の被爆者」のパターンは大量にあります。貸本漫画は一つが流行ると雨後の筍のように同じパターンで出てくるからです。
1984年11月、「夢千代日記」のレコーディングで記者会見する吉田正氏(右)と吉永小百合、左は作詞の早坂暁氏
1984年11月、「夢千代日記」のレコーディングで記者会見する吉田正氏(右)と吉永小百合、左は作詞の早坂暁氏
開沼 それがおさまるのはいつごろですか。

山本 1960年代に転換があると思います。「薄幸の被爆者」ではなく、原爆を落とした側を恨むとか、補償してくれない日本政府を恨むという被爆者。そういったものの代表例として『はだしのゲン』を思い浮かべる人が多いと思いますが、それ以前にもいくつかの作品があります。

 弱々しい女性の被爆者から、力強い、恨む被爆者へなぜ転換が起きたのか。ひとつ言えるのは、貸本漫画のメディア的な特性だと思います。貸本漫画のメインターゲットは、ハイティーンの男性労働者です。小林旭などが演じていた、悪党が出てきて殺し合うようなガン・アクションの世界を描くのが貸本劇画でした。その貸本劇画が被爆者を取り入れるとき、弱々しく死んでいくのだけれども、敵の造形としてはそれほど弱々しくてはいけない。貸本劇画に出てくる敵は怒っている必要がある。その中で「憎む被爆者」像が生み出された。

開沼 なるほど。「憎む被爆者」フレームは3・11以後の福島にも「憎む被曝者」に転換する形で押し付けられてきた部分があったでしょう。まさに、テレビ・新聞は「福島の人よ立ち上がれ」的な、紋切り型なフレームで福島を捉え、強制しようとさえする。それに自らを同一化して便乗していく当事者もいますが、「そういう話じゃねーよ。おめえ自身の脱原発・被曝回避の願望、反体制運動の論理押し付けてくんじゃねーよ」という反発の声も徐々に大きくなってきている。

 いずれにせよ、1960年代、そのあたりから、日本における核の問題は、原水協・原水禁運動のように社会運動が意識化されることなど含めて、声が大きい被爆者たちの存在が可視化してもきたわけですね。

山本 全国的に政治運動があった。そこに『はだしのゲン』が出た。『ゲン』の掲載誌は、最初は『少年ジャンプ』だったというのも面白いですね。

開沼 『はじめての福島学』で扱った問題に引き寄せるならば、その系譜の上で「薄幸の被曝者」や「薄幸の避難者」を位置づけて捉え直していくこともできるでしょう。やはり、無意識のうちに核・原子力を「楽しむ」よう、歴史の中で刻み込まれた日本人のメンタリティがよみとれる。

山本 「おいしいコンテンツ」になっている。