醒めてしまった「脱原発+再エネでみんなハッピー」という夢


開沼 私たちは、ステレオタイプ化によって理解した気になれる。ただ、それによって「福島は面倒くさい、わからない、いつも同じ話」になってしまう側面も大きいでしょう。

山本 難しい話です。いつも同じ話であっても、飽きずに同じことを言い続ける必要性もある。これについては、当事者側、ジャーナリズムや研究者側、私たちもジレンマを感じている。「この話って何回も話したなあ」、「何回も聞いたなあ」と思ってしまう。これを乗り越えるのは難しい。開沼さんが言うように、ステレオタイプ化が風化を進めているのかもしれない。

開沼 そうですね。『はじめての福島学』では、まさにこの3・11以後に流布する様々な表現のステレオタイプへの批判をしています。例えば、本の冒頭にも書きましたが、「原発」「放射能」「除染」「避難」「賠償」「子どもたち」。この6つのキーワードを「福島問題6点セット」と読んでいますが、これを使うと、取材しないでも、知識なくても、頭使わないでも福島の記事を書けたような雰囲気が出せます(笑)。

 「原発事故によって多くの人が避難をし続ける福島。除染・賠償・放射線への対策など課題は山積する。復興が遅れている。子どもたちの笑顔を取り戻すために、私たちは福島を忘れてはならない」みたいな。「どうですー、福島に寄り添っているでしょー」みたいな空気になる。でも、なんにも語ってないんですよ。そんなことは4年前から繰り返させている話であって、キーワード埋め込んで筋通る文作れば点数もらえる小論文の入試問題問いてるんじゃないんだから。

 『はじめての福島学』で明らかにしたとおり、イメージと現実には大きな乖離がある。今必要なのは、そこをどう埋めていくのかということですよ。そこで先ほどの話ですが、どこで「薄幸の被曝者・避難者」が転換、スイッチチェンジしていくタイミングがくるのか、という点には興味があります。原爆は、1960年代前半ということは、実際の原爆投下から20年くらい経ってイメージが変わったということですよね。それを考えると、まだ原発事故からは4年しか経っていない。今後も福島問題のイメージは、くるくると変わっていく可能性がある。

山本 そうですよね。福島の原発災害を描いたヒューマンドラマ、映画、漫画がこれからどんどん出てくると思いますが、私もその描かれ方に注目しています。

 傾向としては、原発災害直後に、例えばしりあがり寿が再生可能エネルギーに舵を切った未来の日本社会などを描いているが、そういう「原発の問題」として福島の問題を描こうとするポピュラー文化自体は数としてはあまり多くない。むしろ、マンガ『はじまりの春』のような、福島の農家の高校生の話など、福島に根差した、「地方の問題」として福島の問題を描く構造のものが目立つようになってきています。それもうなずける。ただ、個人的には、震災直後にあった「ぼくたちは原発とどう付き合っていくのか」というような「そもそも論」も大事なので、どちらも続いていくといいと思っています。

 まさに、『はじめての福島学』は、この「原発の問題」と「地方の問題」との橋渡しをするような作業ですよね。その点で、今回は「核・原子力問題としての福島」について禁欲的に書くことを控えている側面もあるんだと思いますが、福島学と銘打つ中で、核をどうするのかという「そもそも論」について開沼さんはどうお考えなのか。