大国に翻弄され続けたポーランド


 現在のウクライナと似ているが、地理的にドイツやロシアといった大国に挟まれたポーランドは、常に大国の思惑に翻弄され続けてきた歴史を持つ。10世紀にはすでに王国として認知されていたポーランドは、17世紀にポーランド・リトアニア共和国として繁栄期を迎えたが、18世紀にはドイツ(プロイセン)、オーストリア、ロシアによって国土が分割という形で奪われて消滅。

 19世紀初頭、プロイセンに勝利したフランスの皇帝ナポレオンは、割譲された領土にワルシャワ公国を作ったが、1815年には再びロシアとプロイセンに分割された。第2次世界大戦勃発直後には、ドイツとソ連との間でポーランドを分割して占領する取り決めが交わされ、20世紀に入ってもポーランドは周辺国の政治的な駆け引きに翻弄されていたのだ。

 国土の分割や消滅を何度も経験したポーランド人の中には、生まれ育った土地を離れて国外に新天地を求める者も少なくなかった。ポーランドにおけるディアスポラ(民族の離散)は非常に規模が大きく、ポーランドにルーツを持つ人の数は世界中で2000万人を超える。母国を離れたポーランド人の多くは、ヨーロッパの他の国に移住したが、珍しいものとしてはポーランド系ハイチ人のケースがある。1802年にカリブ海の島国ハイチで、宗主国フランスに対して地元住民が反乱を起こした。反乱を鎮圧する目的でナポレオンは5000人のポーランド人で構成された部隊をハイチに送ったが、ハイチ人に共感したポーランド人兵士の中には地元住民の側につき、そのうちの数百人はそのままハイチに定住した。

英国民投票の結果判明後、ロンドンの路上で離脱派(左)とすれ違う残留派の女性=6月24日
英国民投票の結果判明後、ロンドンの路上で離脱派(左)とすれ違う残留派の女性=6月24日
 19世紀後半には、移民の受け入れに積極的だったアメリカやカナダを目指すポーランド人が激増。現在、ポーランド系アメリカ人は1000万人以上いるとされており、シカゴはポーランド国外で最大のポーランド人コミュニティとなっている。ポーランド系アメリカ人協会が2000年に行った調査では、シカゴだけでポーランド語を話す人(バイリンガルも含む)が18万人以上いたことが判明している。また、第二次世界大戦の戦火を逃れたポーランド人の中には、パキスタンや南アフリカ、イスラエルなどに移住した人も多い。

 21世紀に入ると、戦争以外の理由でポーランドを離れる人が急増する。2004年にポーランドはEUに加盟した。加盟国間における労働の自由が保障されていたため、若者を中心とした多くのポーランド人が西ヨーロッパを目指した。また、安価な労働力を求めていたイギリスやドイツ、アイルランドといった国はポーランド人労働者を積極的に受け入れ、2004年以降に他国に渡ったポーランド人は200万人を超えている。最も多くのポーランド人が移り住んだのがイギリスで、ワシントンポスト紙は28日、イギリス国内で暮らすポーランド人は推定85万人になると報じている。イギリス経済に貢献してきたポーランド人だが、EU離脱を問う国民投票を境に、イギリス国内で嫌がらせを受けるケースが急増している。