見方を変えれば、大学進学に必要な能力は、必ずしも「詰め込み」だけで身につくものではないといえるのかもしれない。しかし、現在も続く「ゆとり世代」の大学進学という現実は、特に校内推薦やAO入試による入学者を中心に、大学へ入学する直前、あるいは入学してすぐに補習授業を行うのが普通であるのだ。つまり大学入学に課せられる学力が足りていないということである。それでも入学を許可する大学側にも、問題がないとは言わないが、補習する内容は高校時代の履修内容というよりは、小学生レベルの内容も多いと聞くと、そもそも義務教育で身に付けるべき学力すら満たしていないということにもなる。

 また「ゆとり教育」のひとつの手段として、体験学習や個性重視の教育方法が取られるようになった。以前は、家庭や地域で自然と学んでいたことでも、地域社会の崩壊や家庭教育の低下などから、学校がやらざるを得なくなっていることも多い。食事の食べ方や命の教育なども、その一例である。さらに、昨今は、道徳の教科化をはじめ、外国語教育、情報教育やプログラミング教育などの必要性も高まり、学習内容は増える一方だ。それにも関わらず、授業時数がピーク時に追いつくほどは増えていないのであれば、本来学校でこそ身に付けるべき基礎学力の時間を削らざるを得ないのである。また個性の尊重は、集団行動や協調性を軽視し、自分基準が認められる世の中であるかのような誤解を生む。

 学校での授業時数が減少する一方、最近の子供たちの多忙感は、親としても心配になるほどである。塾通いや習い事も早期化する傾向にあり、生活全般においては、ゆとりがあるようには見えない。それらを考えると、単に「ゆとり」か「脱ゆとり」かという議論に終始するのではなく、幼児教育、義務教育、高等教育それぞれの段階において、どんな力を身に付けさせるべきかを真剣に考えなくてはならないのである。また学校の責任、家庭(親)の責任とは何かを明確に定めることも必要だ。

 昨今、技術の進歩のスピードは、想像を絶するものがある。民間シンクタンクの試算によれば、10~20年後には今の仕事の半分はAI(人工知能)に取って代わるらしい。少子高齢化のスピードも益々進む。これまでのやり方や常識が通用しないことがたくさん出てくるのだ。その中で生き抜くためには、将来を見通し、豊かな発想で柔軟に対応できる能力が必要だ。それは確かに学力が高ければ身につくというものではない。様々なことに興味を持つことなどで発想力は育つが、それでも私は基礎学力は高い方がいいと思っている。