授業が物足りない「吹きこぼれ」


 マスコミの批判や国民の要望に応え、量さえ減らせばいいと考えた文部省の判断は、結果的に間違っていた。「詰め込み教育」時代に授業について行けなくなる子どもを大量に出し「落ちこぼれ」批判を生んだのに対し、今度は授業を物足りなく感じる子どものことを「吹きこぼれ」と呼ぶようになる逆の問題が生じた。また、社会全体も画一的で満足した時代から個性化、多様化が求められるようになってくる。

 文部省の対応に不満を持った中曽根康弘首相は自ら教育改革に乗り出し、84年に首相直属の臨時教育審議会を設置して3年間濃密に議論をした結果、87年に首相への答申という形で結論を得た。21世紀を見据えたその結論は、ひとことで言えば質の見直しだった。可能な限り個性化、多様化を目指し、画一一辺倒でなく個々人の興味、関心、能力、適性に応じた個別化教育と能動的学習を取り入れていくことを要求している。

 それを受けて92年指導要領では、小学校の1、2年生に限り能動的学習として「生活科」が導入され、中学校には授業を受ける科目を生徒の状況に合わせて、学校が選択できる時間が全授業時数の10~26.6%用意された。とはいえ、臨時教育審議会答申から時間的に十分な準備期間がなかったため、質の変化はまだ限定的でしかなかった。

 これに対し02年指導要領は、中央教育審議会での専門的な議論を経るなど十分な準備の下に導入された。この指導要領では、「生活科」に加え小学校3年以上の全学年にも、能動的学習のための「総合的な学習の時間」を設けるとともに、「落ちこぼれ」にも「吹きこぼれ」にも対応できる習熟度別学習の実施を可能にして、画一一辺倒の打破にも途を拓いた。初めて本格的な質の改革に着手したのである。

 ところが、それまで量の議論に終始していた日本社会は質に目を向ける意識が乏しく、量の変化ばかりが騒がれることになる。「総合的な学習の時間」や習熟度別学習の実施のためには、画一的に全員に修得させる教育内容は削減せざるを得なかった。また、家庭や地域の教育力を回復させるための完全学校週五日制の実施で授業時間が減少したことも量の縮小を印象づけた。その結果、馳大臣の言葉を借りれば「ゆとり教育がゆるみ教育と、間違った解釈で」浸透してしまい、これでは学力が低下するとの批判の嵐を招くことになる。

 もちろん文科省は質の変化を強調して説明に当たった。町村信孝大臣を先頭に副大臣、政務官の政務三役が全国行脚して関係者にアピールしたのをはじめ、特に子どもの側の当事者である親たちに納得してもらえるよう務めたのである。その結果、保護者によるPTAの全国組織である日本PTA全国協議会には質の改革に賛同してもらえただけでなく、親に負担を強いる学校週五日制にも理解を得ることに成功した。