ただ、21年にわたりこの間の経緯を目の当たりにしてきた大臣は、量にこだわる考え方の根深さも重々承知しているに違いない。そこで、後3点の「目標」を実現するための「手段」として前提となる2点を挙げたのだろう。量の増減という二項対立を封印するために、学習内容をこれ以上削減しないと宣言してみせたのである。みごとな戦略ではないか。役人には思いつかない政治的アイデアだと思う。

 87年に臨時教育審議会が提言してから33年後の2020年に実施される指導要領で、これまでそこを目指しながら達成できなかった質の転換、すなわち画一一辺倒からの転換と能動的学習の一般化が可能なのではないかと十分期待させるだけの有力な戦略が示されたと評価したい。

 「ゆとり教育」批判を浴びた02年の時点では、学習内容を削減せずに質の転換を図るだけの条件が整備されていなかった。それが20年には可能だと、当時担当した私でもそう思えるほど、学校の教育条件は改善されている。02年から今までの間にも、1クラス当たりの児童生徒数は減り、教員の配置基準も緩和され、教育現場での不毛なイデオロギー対立も解消されてきた。学校は地域に開かれたものになり、住民が学校ボランティアとして学校教育を支える体制も年々充実してきている。

 教師の多忙や疲労を問題視する向きもあるが、教師だけに学校教育を全部背負い込ませていた状況は少なくとも改善されている。もちろん、いわれなき教師バッシングなどにより精神的に追い込まれたり、過去にはなかった生徒指導上の問題や事務処理が負担になっていることも事実だ。それらは、馳大臣メッセージのもうひとつのテーマである「学校の指導体制の充実」「教員の質の向上」「チーム学校の実現」「『地域とともにある学校』への転換」と言ったプランによって20年までに解決する覚悟が示されていると見る。

 条件整備されてそれが可能になるならば、02年に性急に実施するのでなく、じっくり待って最初から20年に量を減らさないまま質の転換を図るべきだったとの批判があるだろう。02年に担当した者として甘んじて受け入れなければならないと思う。しかし、条件が整うまで質を転換しようとする方向性を示さず、今日まで画一一辺倒の教育を続けていたらどうなっていただろうか。

 教育の成果が表れるまでには時間がかかる。02年に小学校に入った子どもが大学まで進んだとすると社会に出るのは18年だ。家庭を持ち、子育てをしながら社会を支える年代になるにはさらに年月を要する。その間に急激な少子高齢化という厳しい状況に対処したり、従来の知識では対応できなくなると思われるAI、ロボットの進歩などの変化に対応するのに間に合うだろうか。20年に小学校に入った子どもから能動的学習を導入するのでは、彼らが社会に出るのは2036年ということになる。