「ゆとり世代」実は43歳から?


 そのことを考えてもらうためにも、「ゆとり世代」の正確な定義を明らかにしておこう。02年指導要領世代ということなら、その眼目である能動的学習を小学校の1、2年生で「生活科」それ以後は「総合的な学習の時間」という形で経験しているのは00年に小学校に入学した以降の世代であり、1993年4月生まれより下になる。先頭が現在22~23歳の大卒新社会人に当たる。

 広く捉えて92年指導要領の「生活科」や中学校の選択教科を体験した世代とするならば、92年に小学校に入学した85年4月生まれより下、先頭は現在30~31歳ということになる。ちなみに冒頭に紹介したドラマ「ゆとりですがなにか」の主人公たちは87年生まれの28~29歳、実はこの世代なのである。作者はちゃんと02年指導要領世代との区別を意識しており、主人公の妹である大学生(名前も「ゆとり」)は95年生まれの20歳として次の世代の扱いをされている。

 そこまで「ゆとり世代」を広げるなら、80年指導要領で学んだ世代もそう呼ぶべきではなかろうか。画一的で受動的な旧来の質のシステムのままで、「詰め込み教育」批判によって学ぶ量を減らされた世代だ。73年4月生まれより下、先頭は現在42~43歳になる。むしろ下の世代を「ゆとり世代」と決めつけて「お前ら若い奴は…」と威張っている連中ではないのか。

 ことほどさように、「ゆとり世代」とこじつけることにほとんど積極的な意味はない。戦前、戦中に少年時代を送り子どもの立場で戦争体験した「焼け跡世代」やベビーブームで大人数だった「団塊世代」、あるいはバブル期に就職した「バブル世代」やその後の就職氷河期に就職した「ロスジェネ世代」のように世代に共通の明確な社会背景や時代背景がないのだから、もとより無理があるのだ。

 にもかかわらず、自覚もないままに「ゆとり世代」にされてしまい、今度は「脱ゆとり宣言」や「ゆとり教育との決別」と世代ぐるみで否定されたと報道されるのではたまったものではない。なにしろ本来なら「脱・『ゆとり』対『詰め込み』の二項対立」とか「マスコミ命名の『ゆとり教育』なる言葉との決別」と記されるべき内容の大臣発言なのである。ただでさえ「ゆとり世代」呼ばわりされた上に、お前たちは否定されたというのではひどすぎる。

 これまで見てきたように、馳大臣は「ゆとり教育」が「詰め込み教育」と二項対立になってしまうことと決別したのであり、02年指導要領の教育内容については、「もちろん全否定ではありません」と述べているにもかかわらず、ゆとり世代が否定されたという類の言説が流布されるというのは誠に嘆かわしい有様だと思う。

 われわれ大人は、若者をいたずらに「ゆとり世代」と貶めるのでなく、馳大臣のメッセージを真剣に受け止めて、これからの時代に必要な教育の質はどんなものであるのかをこそ、現状分析や未来予測を駆使して議論すべきではないだろうか。二項対立でないそうした議論こそ、この社会の将来にとって重要なものだと信じて止まない。