3.11後のセカイ系


 ひとつ思ったのは、この人は、まあちょっと前に流行った言葉でいうと、一種の「セカイ系」なわけですね。少なくともこの自伝ではそういう物語をつくろうとしている。
 
 セカイ系というのは、自分の内的な世界の閉塞感を、物語だか現実だかわからないセカイに照らし合わせていこうとしている人たちのことですね。自分の理解ですが。だから、世界の出来事と自分の内的な世界が奇妙に一致してしまっている。本当はそんなことはないんです。世界はあなたと全く関係ない理屈で動いている外部なわけです。彼らは自分が苦しんでいる閉塞感から逃れんがために、世界の滅亡を希求する。または絶対的な変化を求める。それが宇宙戦争でもいいし、天変地異でもいいわけです。もちろんそんなキミのセカイのために、世界が滅亡されても関係ないオレには迷惑きわまりないわけで、そういう意味でセカイ系、ホント迷惑な連中だよな、と思っていました。だって彼らの世界の滅亡はたったひとりの自分のセカイの「革命」のためのものですから。

 ところが、3.11っていうのは、実際に世界の滅亡みたいなカタストロフィが起きてしまったわけです。ローカルではありますが、確実に起きた。そうすると、セカイ系の人達は何を考えるか。

 奥田自伝の中で、映画『ヒミズ』の公開にあたって、監督である園子温が語ったという言葉が引用されています。


全体的に僕はこの映画に、今までの映画、僕の作り続けてきた映画とは明らかに変わっていかざるを得なかったという状況があったというこ とです。僕は非常に、人間って言うのはこんなもんだよという絶望的な姿を丸裸にするような映画を撮り続けてはいたんですけども、それだけではもうやってい けないなというのが3.11以降の自分の映画のあり方で、それをやっぱり「ヒミズ」 は自分の中の映画史、映画を作り続けてきた中で非常に転向したというか変わらざるをえなかったということです。それは1ついうと絶望していられない、へん な言い方で言うと希望に僕は負けたんです、絶望に勝ったというよりは希望に負けて希望を持たざるをえなくなった。だから簡単に言っちゃって、「愛なんてくだらねえよ」って言ってたやつがすごい人を好きになって、愛に白旗を揚げた、愛に敗北。そういう意味ではもう絶望とかはいってられなくなったなと。それは 絶望に打ち勝ったというよりは希望に負けたという。希望を持たざるをえなくなったなという。これからはただ単純に絶望感だけではやっていけないっていう、 そういうテーマです。それは誰かを励ましているわけでも、だれかをけなしているわけでもなく、そういう今、非日常を生きていく決意を新たにこの映画で刻ん でいこうという、それがテーマですから。

 園子温は、その昔、「東京ガガガ」というパフォーマンス集団をやってきた人ですし、そのパフォーマンスも映画も、自分の情けなくもみじめで悲惨な境遇を、どうやって現実世界に解放していくか、ということばかりを追求してきたような人です。その手段として荒唐無稽な露悪趣味を選んだ。ところが、3.11で、そのぶつけていくべきセカイがいわば崩壊してしまった。そのときに、何をしなければならないか。これは自分が望んでいた世界の滅亡の後なのではないか。だとしたら、そこで自分は初めて何かを成し遂げることができるのではないか、と。ここで露悪趣味は終わりにせざるをえないのですね。これが彼が「敗北」と言っているものです。「転向」と言い換えてもいいでしょう。

 もちろん、奥田愛基という人は、生まれ育った家庭環境からして、一種のリベラルのディシプリンをもった人だったわけです。で、それがさらに島根の山奥の自由学校みたいなところで花開く。だから、純粋なセカイ系とはちょっと違うわけです。彼には世界が視えていた。そういう違いはあるわけですが、まあ3.11後に、ノンポリだった人達や既存の政党政治枠にはめられていた人がストリートに出て何かをまじめにやりだしたというところは傾向としてあるのではないかと思うわけです。それを彼はひとつ体現しているのではないか、と。

 このマジメさは、先行するアナーキズムに彩られた高円寺系のアウトノミアの人たちや、全く違った革命のための物語、すなわち唯物史観をもった人たちとも別のもので、もう優等生以上に優等生的な立ち居振る舞いや、出来損ないのスクラップの組み合わせでもいいから何かを建設するというような前向きな意志を感じさせるところではないかと思うわけです。

 こういうセカイ系の物語として自伝が書かれているから、生臭いことは一切書いてませんが、それなりに面白いので、よかったらどうぞ。

 そんなわけで、最後にとってつけたような「分析」があって、おまえもSEALDsに誘引されている蛾みたいなもんで、単になんか言ってやりたいだけじゃねーかもと言われればそれまでですね(笑)

 自分はもう少し、この鼻っ柱が強いセカイ系の連中が織りなす3.11後の物語みたいなものを見ていこうかと思っています。私はガタリと同じく、例え愚鈍であっても何かを構築しようという人たちが趣味的に好きですので、まあそういうことになります。(清義明のブログ「Football is the weapon of the future」 2016年6月21日分を転載)