「日本は悪い」が「樺太」追いやる


 戦後、我が国に進駐した連合国軍総司令部(GHQ)が行った言論統制は、「改革」という名の下で、戦勝国側に都合の悪いことは報道及び掲載を規制し、日本国民の脳裏には、学校教育などの場を通して「日本は悪い国であった」という一方的な考えが刷り込まれた。

 もちろん、戦時下で過ちを犯してしまった先人もいるだろう。だからと言って、国民がそのような過ちの部分のみに焦点を当て、祖先の偉業を必要以上に否定してしまえば、結局のところ、後世に事実は伝わらない。歴史の歪曲が起こる。

 このようなGHQの占領政策よって醸成されたのが、国民自身による「偏った歴史の見方」である。特に、ソ連が樺太を再併合し、ほかの戦勝国がそれを容認するうえで、日本国民が「日本は悪い国であった」と「偏った歴史の見方」をしていてくれることは、大変都合がよかった。

 戦勝国側は、我が国によるアジア諸国に対する「植民地支配」を断罪する過程で、敗戦当時は歴とした日本本土であった樺太までも「植民地」と見なし、事実上、これをソ連に引き渡したのだ。

 日本政府は、敗戦からサンフランシスコ講和条約に至るまでの間に幾度も、戦勝国側に対し「我が国が樺太を放棄させられることは不当である」という旨を伝えている。これは「植民地ではない日本本土たる樺太まで何故放棄させられなくてはいけないのか」という抗議と解していい。

 同条約により、「日本本土」であった「樺太」は無理やり我が国から切り離された。とは言え、この条約は、樺太が最終的にどの国に組み込まれるか規定していない。尚且つソ連は、我が国の樺太放棄を定めたこの条約への署名を拒否した。ソ連は、サンフランシスコ講和条約への署名を拒否したにも関わらず、当時既に占拠し終えていた樺太の実効支配は継続したのである。

 平成二十七年現在、ソ連の継承国たるロシア連邦が、何らの国際法にも基づかず樺太の不法占拠を継続している。樺太は今なお、国際法上「帰属未定地」なのである。

樺太の北緯50度以南と得撫島以北の千島列島が帰属未定であることを示す地図(全国樺太連盟)
樺太の北緯50度以南と得撫島
以北の千島列島が帰属未定で
あることを示す地図
(全国樺太連盟)
 戦後発生した「日本は悪い国であった」という「偏った歴史の見方」は、いわば日本人の歴史に対する思考停止である。この「思考停止」が「樺太は『日露戦争で日本に収奪された土地』であるが、大東亜戦争敗戦による『日本帝国主義の終焉』に伴い、元々の持ち主であったソ連・ロシアに還された」という誤った認識も生み出した。

 この誤認が、日本国民の樺太史に対する思考停止をも生み出し、結果として「樺太」という地名を徐々に死語に追いやった(追いやろうとしている)と考えることができる。

「樺太」を死語にさせる別要因


 樺太の歴史は、世間一般であまり語られることがない。それには、いろいろな原因があるだろう。前述した様な誤認などもあれば、「樺太史はややこしい」ということも一因と考えられる。樺太の歴史は、それを要約する(考える)時に多少骨が折れ、結果として、世間一般はそれを考えなくなった(なってきている)のではないか。

 物事とは、ほんの少し骨が折れる限り、よほど関心の強い人たち以外は、それからドンドン遠ざかっていく。樺太史も例外ではない。樺太史は骨が折れるので、世間一般は敬遠するようになり、こうした現象が樺太史を埋没(風化)させ、結果として「樺太」を死語化させた(させている)別要因と言えるのではないか。

 学者たちの多くは、このような側面には触れようとしないが、学習人口が減りつつある(と推定される)樺太史を考察するうえでは、こうした現実も、正面から見据えることが欠かせないと思われる。