日本政府はこれまで、「中国を刺激しない」という意味不明な理由で、尖閣諸島に日本国民を上陸させず、日本の建造物も建てず、自衛隊の監視隊も配備せず、天気予報も行わず、石垣市の環境調査のための航空機による調査も「不測の事態を避けるため」という理由で中止させてきた。これは、外国の目から見たら、尖閣諸島は中国の領土であるあるから日本は遠慮していたとしか見えないのである。日本政府が尖閣諸島防衛のために最も優先することは、外国人の誰が見てもわかるような方法で尖閣諸島を実効支配することである。具体的には、大きな日章旗を掲げた建造物を尖閣諸島内に建設することである。これにより、尖閣諸島に上陸しようとする外国人を射殺しても日本を批判する国はどこにもいなくなるのである。日本政府が今やるべきことは、領土、領海、領空の実効支配を断固として守ることである。実効支配している国こそ、侵略者に対して先に攻撃する資格があるのである。EEZ(排他的経済水域)に関しても、勝手に資源の調査を行わせてはならない。中国に対する黙認はEEZ内にあらたな軍事基地建設を許すことと同義である。

沖縄防衛「真の敵」による煽動工作


 南西諸島の島嶼防衛を考える時、決して無視できないものがある。それは沖縄の世論である。沖縄の世論は沖縄県民が作っているのではない、沖縄の琉球新報、沖縄タイムスの二紙を中心とした地元マスコミが作っているのである。沖縄の歴史を見ると、中国が軍事覇権を強める時期には必ず沖縄の反米世論はエスカレートしているのである。沖縄で過去最大の反米運動は佐藤総理大臣が米国と沖縄返還交渉を始めた1967年頃から71年11月の沖縄返還協定が国会で批准されるまでの間である。1960年代当初より毛沢東は核兵器の開発を急いでおり、1964年に最初の核爆発に成功し、その後核実験を繰り返し1970年4月24日に初の人工衛星、東方紅1号の打ち上げに成功し事実上核保有国となった。その裏では、日本の安保闘争と沖縄返還闘争の工作を仕掛けて日米安保の破棄を目指していたのである。日の丸を振って盛り上がっていた沖縄の復帰運動が、なぜ急に左旋回して安保闘争のようになったのかわからないという方が多いが、その理由は明確である。1960年4月28日に発足して沖縄県祖国復帰運動(大衆運動)の中心を担っていた沖縄県祖国復帰協議会は、毛沢東とつながっていた左翼の統一組織であり、本当の目的は日米安保破棄、在沖米軍基地の撤去であり、祖国復帰は県民を扇動するための材料に過ぎなかったからである。
女性遺体遺棄事件に対する抗議集会が行われたキャンプ瑞慶覧のゲート前に立つ米軍関係者=5月22日午後、沖縄県北中城村
女性遺体遺棄事件に対する抗議集会が行われたキャンプ瑞慶覧のゲート前に立つ米軍関係者=5月22日午後、沖縄県北中城村
 そして、現在の沖縄でも同じように反米運動が盛り上がっている。米軍属による女性暴行殺人事件をきっかけに、海兵隊の撤退を明記した抗議決議が沖縄県議会で可決され、6月19日の県民大会の大会決議案にも明記され、海兵隊の撤退が沖縄の総意という構図を作られてしまったのである。尖閣諸島や東シナ海を我が物顔で領海侵犯や領空侵犯を繰り返す人民解放軍の脅威に目を向けることなく、むしろ海兵隊の撤退を求めている状況は、1960年台後半に中国が核兵器を開発しても目を向けず、米軍基地の撤去運動が繰り広げられていた時と全く同じである。つまり、沖縄のマスコミと一部の政治勢力が1960年代には事実上中国共産党のコントロール下にあり、現在に至るまで日米安保破棄の工作を続けてきたということにほかならない。