行政の限界と皇室の役割


 福沢先生が皇室に期待した役割は、政治論争に伴う軋轢を緩和することだけではありませんでした。国会が開設され、法令が整っていくと、法令に基づいて公正な行政が行われるようになっていきます。権力者による恣意的な行政が行われなくなることは歓迎すべきことですが、そこに一定の限界があるとして、次のように指摘しています。

《近来は法律が次第に精密の度を加え、世間に法理と言うものが次第に喧しくなってきた。それに従って、政府の施政もすべて規則を重んじる傾向になるであろうことは自然の勢いである。それが国会開設の時期ともなれば、政府はただ規則の中で活動するだけとなり、規則から外れた部分では、いささかも自由がないことだろう。

 しかしながら、人間社会はそうした規則の中だけに包含・網羅(もうら)することはできない。すなわち、政府の容量は小さく、社会の形は大きいと言えるだろう。小をもって大を包もうとしても、もともと無理な話だ。

 例えば、よるべない人々を憐れみ、孝行な子や貞節な婦人を賞するようなことは政府の手にあまる。これらは、人情の世界においては最も緊要なことであり、一国の風俗に影響を及ぼすことが最も大きいことだけれども、道理の中に束縛されている政府においては、決してこれに手を着けることができない。

「政府の庫の中にあるものは、一銭の金、一粒の米といえども、その出処は国会で議定して徴収した租税である。金も米も皆これ国民の膏血(こうけつ)なのだ。どうして、この膏血を絞って一部の人々の腹の足しにするようなことができようか」などと理屈をこねれば、道理の世界ではこれに答える言葉もあるまい》

 事態はまさに福沢先生の予言した通りになりました。

 明治二十三年(一八九〇)、政府は第一回帝国議会に、第一号法律案として「窮民救助法案」を提出しました。障害者・傷病者・老衰者等で自活の力なく飢餓にせまる者と養育者のない孤児を対象に、衣食住給与と医療、埋葬まで行うというものですが、衆議院は法案をなんと否決してしまったのです。「なぜ一部の困窮者を助けるために国民の税金を使うのか」という批判が多数を占めたというのです。

 しかし、貧富の格差を放置し、飢え死に寸前の人々を見捨てるような風潮が蔓延すれば、社会は荒みます。助け合い支えあうよき社会としていくためにも、親に孝行を尽くし、困った人に手を差し伸べるような善行を讃える世論を高めていくことが重要ですが、法令に基づいて行政を行う官僚政府がその役割を担うことはなかなか難しい。では、どうしたらいいのか。皇室ならば、社会が荒むことを防ぎ、助け合い支えあうよき社会の美風を高めることができると訴えているのです。

明治天皇百年祭でライトアップされる南神門=2012年7月、東京・明治神宮
明治天皇百年祭でライトアップされる南神門=2012年7月、東京・明治神宮
《国会議員の政府は、道理の府であるために、情を尽くすことができない。理を通そうとすれば情を尽くすことができず、情を尽くそうとすれば理を通すことができない。この二者は両立できないものと知らねばならない。

 では、このような状況で、日本国中を見渡してみて、こうした人情の世界を支配して徳義の風俗を維持することのできる人がいるだろうか。ただ帝室(皇室)があるのみである》

 国家・社会の現実を見据えた福沢先生の「皇室論」は当時の指導者層にも支持され、皇室は、貧民救済など福祉に尽力されるようになります。例えば、明治四十四年、明治天皇は困窮者に対する無料の医療事業を起こすべく「施療済生の勅語」を出され、御内帑金(ごないどきん、ポケットマネー)をもとに恩賜財団済生会が創設され、全国各地に貧しい人向けの病院や診療所が建てられました。

 大正十四年には、関東大震災を被災した老人を救済収容する目的で、皇室の御内帑金と大震災に対する一般義捐金をもって財団法人浴風会を創設し、病院を併設し五百人を収容する大養老院浴風園を設立しています。この浴風園のおかげで全国の養老院の水準が大いに上がったと言われています。

 明治新政府は、欧米諸国の軍事的脅威から独立を守るために富国強兵を最優先にせざるを得ませんでした。いわば、能率を優先させ、採算重視の資本主義のもとで経済発展をしていかなければなりませんので、資力が乏しい当時の政府は、福祉を後回しにせざるを得なかったわけです。しかし、能率的採算本位の資本主義は、拝金主義を招き、格差を生み、国民精神を退廃させていくことになります。そこで、富国強兵では切り捨てられる部分、つまり学術・文化の高貴さを保ち、福祉を重視して格差を是正する役割を、皇室に担っていただくべきであると福沢先生は考えられ、実際に皇室はそのような役割を担ってこられたわけです。

 もちろん、皇室が福祉や伝統文化の顕彰を行おうと思えば一定の財産が必要です。ですから福沢先生の「帝室論」の結論も、福祉や伝統文化擁護のため、皇室には一定の財産をお持ちいただきたいということでした。

 幸いなことに明治の時代は、政権担当者たちも精神的分野で皇室が大きな役割を果たされるべきだと考えて、ヨーロッパの王室とは比較になりませんが、一定の皇室財産をお持ちいただくことになりました。行政ができることには限界があるからこそ、それ以外の精神的分野における皇室の役割は大きい。この福沢先生のご指摘は平成の今でも立派に通用すると思いますね。