「無私」の超越的存在としての天皇


 有史以来、日本人にとって皇室は「私」のない「公的」存在として考えられてきた。100%の公的存在であることは日本の皇室の伝統であり、文化そのものでもある。

 法的には明治憲法、大日本帝国憲法と戦後の日本国憲法にも明記されているが、近現代になってから、その考え方にも若干の変化が見られる。それは、世俗的社会を超越した国家元首としての存在である。

 天皇の超越性について、福沢諭吉は『帝室論』で「帝室は政治社外のものなり。苟(いやしく)も日本国に居て政治を談じ政治に関する者は其主義に於て帝室の尊厳と其神聖とを濫用す可(べか)らずとの事は我輩の持論」としている。また、国会開設以前の1888(明治21)年に『尊王論』を著し、政党政治は政争をともなうもの、国論を二分する可能性も潜むので、その「俗世界」を「皇室は独り悠然として一視同仁(いっしどうじん)の旨を体(たい)し、日本国中唯忠淳(ちゅうじゅん)の良民あるのみにして友敵の差別(さべつ)見ることなし」という天皇は、あくまで「不党不偏」の立場に立った超越的、超俗的存在でなければならないと説いた。

 吉野作造も「枢府と内閣」の一文で、「我国に於いて君主の統治し得る全能の地位に拠り乍(なが)ら而(しか)も親(みずか)ら統治せず、唯君臨して自ら国民の儀表たり、政界紛争の上に超越して常に風教道徳の淵源(えんげん)たる所に寧(むし)ろ我が国体の尊貴なる所以(ゆえん)が存するのではないか」と論じていた。

 日本の天皇は国家の祭主である以上、祈りの心を持つ「無私」の存在として超世俗的な公的存在であることが、伝統であると客観的にみなされる。

 ところが近現代になり、時局時勢の変化に従って、政局に左右されざるを得なかった。

三島由紀夫
 三島由紀夫は『文化防衛論』の中で、「無私」という天皇政治の本来的性格の「恐るべき理論的変質」が始まったのは1925(大正14)年の治安維持法制定からだと指摘している。

 治安維持法の制定直後、左翼運動家たちから「ブルジョア階級が神聖なる国体を自己防衛の具にして悪用した」という批判が上がった。社会主義思想蔓延(まんえん)の危機感から公布されたこの法律の第一条には、「国体を変革し、又は私有財産制を否認することを目的として結社を組織した者」を罰すると規定され、今日では「天皇制ファシズム」を確立するための国民の思想統制の道具だったと非難されている。

 三島由紀夫によれば、この法律が国体と私有財産制(資本主義)とを並列したため、両者はその瞬間同義語になってしまったのである。無産階級の国体即資本主義とする考えは無知であり、国体をブルジョア擁護の盾とするのは国体冒瀆(ぼうとく)だと三島は糾弾した。「経済外要因としての天皇の機能」を認めないのは唯物論者だけだったが、この法規定によって彼らの「不敬」の理念が、誰一人として気がつかないうちに日本人の間に定着したことを述べている。

 そもそも皇室は超世俗的な「公的」存在であり、私財を有しないのが原則である。明治維新以前に「禁裏十万石」と称されていたのは、皇室の私産ではなく公的な経費だった。宮城、京都御所、各地離宮、正倉院財宝、御用林野などは決して天皇の私産ではない。

 昭和天皇崩御にあたり、政府が今上天皇に対して皇位継承にともなう相続税を設定したことは、戦後政府の皇室、公人である天皇の伝統を曲解したものである。

 さらに戦後の政党政治の建前として、天皇を政治圏外におくべきだと主張するのも、天皇の権限を制限する日本国憲法の規定に沿うなどといって好意的に解されているが、「君臨すれども統治せず」とは政治からの完全な排除ではなく、政争には介入しない超越的存在としての超俗的「無私」の精神こそ天皇の役割、そして存在理由だ。だから「政治利用」について国民からもタブー視されているのである。