「昔の日本人は天皇を知らなかった」のウソ


 戦後日本の「進歩的文化人」は、「江戸時代の日本人は天皇の存在を知らなかった」という主張まで始めた。これに対して里見岸雄(さとみきしお)(1897~1974)は著書『万世一系の天皇』で、こうした進歩的文化人らはただ2、3の特例を拾って、維新前の大部分の日本人が天皇を「知らなかった」と結論づけているが、その論証はあいまいで漠然としており、史実とはかなり乖離(かいり)している、としている。

 もし日本人が天皇の存在を知らなかったとすれば、幕末のあの強烈な勤王思想(きんのうしそう)が、庶民の間にですら盛んな勢いで沸き起こったことを説明できないし、明治以降の国民の天皇崇拝意識もあり得ない。薩長(さっちょう)によってとってつけられたような天皇の権威であるなら、決して君民一体の大日本帝国は生まれなかったはずである。
 江戸時代の民間文化や伝説の多くは、皇室の雅(みやび)に対する庶民の憧(あこが)れによって生まれたものである。たとえば雛祭(ひなまつり)はもともと宮中の伝統行事だったが、江戸中期以降に庶民の間でも流行した。雛人形は天皇を象(かたど)った人形にほかならない。庶民の間に流行した歌舞伎の戯曲(ぎきょく)や俳句、短歌でも、よく日本は「神国」と表現されたが、それは天照大神の子孫である天皇が治める国々という意味である。庶民に人気の「お伊勢参り」も「皇祖参り」以外の何ものでもなかった。明治初年、奥羽の住民は古来の注連縄(しめなわ)を門前に張って天皇の行幸(ぎょうこう)を仰(あお)いだ。これも天皇が天照大神の子孫であることを知っていたからである。祭りが大好きな日本人が、最高の祭主が天皇であることを知らなかったなどとは、どうしても考えられない。

 大君の征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)、徳川の権力の根拠はどこにあるかといえば、それは天皇から付与されているという一言につきる。

 國學院大學教授の大原康男(おおはらやすお)氏は著書『現御神考試論(あきつみかみこうしろん)』(暁書房)で、日本人は天皇を知らなかったという説について、はっきりと論拠だとする資料がほとんど提示されていないことを指摘している。

 江戸中期に来日したオランダ商館長、ティッチングなど西洋人の日本見聞録には、日本の元祖は天皇であり、将軍はそれの武官であると記されている。

 西洋人の日本見聞録にさえ書かれているぐらいのことを、日本人が知らないことがあるだろうか。武士にしてもほとんどが源氏か平氏の末裔(まつえい)と名乗り、自らの先祖が皇祖とつながっていることを意識していたのはいうまでもない。武士だけが知っていて、庶民が知らないということはないだろう。もし江戸時代の日本人が天皇を知らなかったら、「尊王攘夷(そんのうじょうい)」を掲げることもなかっただろう。

 戦前戦後の天皇観に大きな変化があったことは事実である。天皇を戴く日本の国体は、神代の時代から続く、「万邦無比」(世界唯一)の国体だからだ。

 古来、天皇は日本の国土を統一した大和朝廷の後継者としての政治的、権力的天皇と、国の祭主としての日本伝統文化の集約者、代表者という天皇観があった。