「現人神」と「ゴッド」の違い


 中国の日本研究者には、日本の天皇を「古代からの奴隷主」と決めつける者が少なくない。それは伝統的中華史観からではなく、人民共和国成立後に跋扈(ばっこ)したマルクス、スターリンの「史的唯物論」のドグマからくる発想である。

 人民共和国政権が成立した後、伝統的正統主義的中華史観は全面的に禁止され、革命史観しか許されなかった。唯物弁証法(ゆいぶつべんしょうほう)に基づく唯物史観である。唯物史観の図式によれば、人類の発展は原始共産社会から奴隷社会へ、さらに封建社会、資本主義社会、そして社会主義社会・共産主義社会へと発展していくというものである。

 日本は「日本民主主義人民共和国」の革命成らず、社会主義社会にまで発展することができなかったと、中国人日本研究者は考えた。奴隷社会という中国の史実と現実からの投影もある。

 詩人、政治家、そして古代史研究家でもあった郭沫若(かくまつじゃく)は、中国の代表的文化人といえる。『中国古代社会研究』や『十批判書』などの著名な著書の中で、氏は古代中国社会は奴隷社会だと説いている。

 中国近代文学の父として、神格化された毛沢東とともに唯一中国で高く評価されている魯迅(ろじん)が唱えた中国奴隷史説も有名である。

 魯迅は学者の歴史の時代区分に反対し、中国史を「奴隷になろうとしてもなれなかった時代としばらく奴隷になれて満足している時代」とに二分すればよいと説いている。魯迅だけでなく、中国史を奴隷史と説く近代中国の文人は多い。

 人民共和国の国歌「義勇軍行進曲」は冒頭、「奴隷になりたくない人民よ、立ち上がれ」と勇壮な文句で始まる。しかし、中国人は結局立ち上がることはできず、「社会主義中国」の中身は「新しい奴隷制度」にすぎないとも指摘されている。

 マックス・ウェーバーは中国を「家産制国家」(支配者が国家を私的な世襲財産のように扱う国)と呼んだ。ヘーゲルの定義によれば、「一人だけが自由、万民が奴隷」という「アジア型専制独裁国家」の典型である。人民共和国が「真の人民民主主義」と誇りにする「人民専制(プロレタリア独裁)」そのものが、まさしく中国政府が自称する「中国的特色を持つ社会主義」だろう。

 山本七平(やまもとしちへい)(1921~1991)によれば、奴隷制度がないのは、世界で日本人とユダヤ人だけだという。
 
 日本人が「現人神」として抱く伝統的な天皇観は、キリスト教を信仰する西洋人には理解できない。自然や人間としての「神」は、西洋人の「GOD」とはまったく違うものだからである。
宮内省(当時)の職員運動会を、昭和天皇と一緒に観戦される天皇陛下=昭和22年4月、皇居内の馬場(宮内庁提供)
宮内省(当時)の職員運動会を、昭和天皇と一緒に観戦される天皇陛下=昭和22年4月、皇居内の馬場(宮内庁提供)
 神話における天照大神は、一神教に見られるような唯我独尊的な排他的な神ではなく、八百万(やおよろず)の神々を集めて「神集えに集え、神議かりに議かる」と衆議を命じた神とされている。その神の直系の子孫として地上の日本を治めるとされる天皇もまた、皇族、臣民の補翼(ほよく)、つまり彼らの叡智(えいち)を結集して政治を行うのが伝統である。つまり独裁という概念が生じないのが、日本の君主制度の一大特色なのである。

 戦後、現人神の「神」が「ゴッド」と訳されたため、アメリカ人は天皇をそう理解した。天皇が神、ゴッドなどとは独裁、独断、迷信だと、GHQが昭和天皇の「人間宣言」を命令したのである。