天皇という超越的存在の下の同胞意識


 明治維新だけがなぜ成功したのかについては、維新から100年以上が経った今もなお、魅力と興味を誘う政治改革の研究テーマの1つである。

 近現代、ことに西力東来後の列強の時代になって、「維新」(あるいは変法ともいわれる)をめざしたのは、決して日本だけではなかった。たとえば日本の隣国を見ても清末の戊戌(ぼじゅつ)維新、朝鮮にも同時代に甲申(こうしん)政変があったが、すべて失敗した。戦後、イランのパーレビ国王の維新(白色革命)も失敗に終わった。

 なぜ日本だけが成功したのかについて、渡部昇一(わたなべしょういち)氏は、「それは神話の時代以来連綿と続いている天皇という超伝統的な要素が、まず先端をきって近代化したためである」と指摘している。

 易姓革命の国、中国で改革維新が唯一成功したのは中華帝国よりはるか昔、戦国時代の秦の商鞅(しょうおう)変法のみだった。これ以外には、歴代王朝の変法は戊戌維新だけでなく、宋(そう)の王安石(おうあんせき)変法をはじめ成功したものはない。血を流す「革命」しかなかった。フランス革命もロシア革命も血の粛清を避けられなかったのである。功臣や同志に対する血の粛清がなければ、革命政権は安定しない。

 隣邦の韓国(朝鮮)の易姓革命を見ても、前王朝、あるいは前大統領に対する血の粛清は凄(すさ)まじいものである。たとえば、現在の朴槿恵(パククネ)大統領は、政敵を暗殺した安重根(あんじゅうこん)を民族の英雄として、大々的に造神運動を進めているが、韓国人によるジェノサイドはほぼ民族の特徴ともなっている。明末の明人大虐殺をはじめ朴正熙(パクチョンヒ)時代の南ベトナム解放民族戦線大虐殺、近代でも金玉均(きんぎょくきん)や独立運動指導者の金九(キムグ)や呂運亨(ヨウニョン)などもことごとく政敵に暗殺しつくされ、朴槿恵大統領の両親朴正熙大統領夫妻も暗殺された。

 なぜ日本だけが自国民に対するジェノサイドを避けられたのだろうか。そこにも超越的な存在としての天皇の存在と日本人が持つ同胞意識に理由がある。

 たいていの社会はないもの、欲しいものを「そうである」「そうすべきである」と強調する。それがごく一般的な常識といえる。しかしあることとあるべきことを区別できる人はそれほど多くはない。

 中華の国は仁義道徳を強調し、ことに孝は万徳の本だと強調する。それはそうすべきである(当為(ダンウェイ))という願望にすぎない。中国や韓国は家族を大事にする国だとよくいわれているが、実際には親子兄弟姉妹の殺し合い、いがみ合いはほかのどの国よりも激しい。李(り)朝の例を見ても、李成桂(りせいけい)が高麗朝から政権を奪ってから、諸子たちは殺し合い、第一次王子の乱から第二次王子の乱へと王位をめぐる殺し合いが繰り広げられた。それは近現代には朋党(ほうとう)の争いへと引き継がれ、朝鮮半島の社会のしくみ、歴史の掟(おきて)として今日に至り、南北対峙(たいじ)が続いている。同胞意識が欠如しているだけでなく、祖国から離れても、アメリカの大学で韓国人学生による銃乱射事件が続出し、不特定多数の人間に対する恨(ハン)は消えない。

 なぜ韓国人は政敵に対してだけでなく、無差別に、誰に対しても恨をもつのだろうか。日中韓の文化比較はきわめて示唆的(しさてき)である。