この仕事で俺は死ぬ


 長松は神奈川県にあった高峯道場で半年間訓練していた。この道場は、東アジアの現地駐在員を養成する機関だった。現地の言葉を教えるだけでなく、座禅などを通じて人間教育をしていた。道場には、常時40〜50人の道場生がいた。この高峯道場の道場長は、四元義正。四元義隆の兄だ。

 長松は昭和20年3月に道場を「卒業」した。直後の東京大空襲の惨状を見て「日本の敗戦は近いのではないか」と不安な気持ちになった。夏になり、高峯道場に戻った。卒業していたものの、5期生の控室があり、そこで寝泊まりしていた。そんなある日、高峯道場の本部から呼び出しを受けた。道場長が緊急の用事があるとのことだった。長松は道場長の四元義正と面談した。

 「おまえの出番が来たぞ。重要な任務を遂行してもらう。どんな任務かは話せない。よいか。これからおまえのする仕事は国民からバドリオという汚名を受けることになるが、国家百年ののちには英雄として崇められるだろう」

 ピエトロ・バドリオは、イタリアでムッソリーニ失脚後に首相に就いた政治家だ。国王の意向を受けて密かに連合国と休戦交渉を進めた。日独伊三国同盟からみれば、真っ先に連合国側に寝返った「裏切り者」だ。戦時下の日本では、バドリオという言葉は、裏切り者や卑怯者の代名詞だった。

 緊張して四元義正の話を聞いた。具体的な任務については、義正の弟の義隆が説明するという。どんな仕事なのだろうか。義隆さん直々に話してくれるそうだが、この仕事で俺は死ぬ。それだけは確かだ。特攻で死んだ同級生もいる。

 「この任務遂行でおまえの命はないだろう。身辺整理はちゃんとしろ」、四元義正は命じた。

 長松は直ちに控室に戻り、障子紙を探し出した。剃刀を用意したが、さび付いていた。丁寧に砥いだ。長松は思い切って、右親指に剃刀を入れた。その血で書いたのが「七生報国」。これは、後醍醐天皇に仕えていた楠木正成が、足利尊氏に敗れて自刃したときに誓った言葉だ。7回生まれ変わって、逆賊を亡ぼし、国に報いようという意味だ。
神戸・ 湊川公園の楠木正成像(Wikimedia)
神戸・ 湊川公園の楠木正成像(Wikimedia)
 長松はかねがね、人生最後の局面では、この「七生報国」を書こうと思っていた。

 次は父親宛ての遺書だ。墨をすって、書いた。19歳まで育ててくれた感謝の意を示さねばならない。道場の神棚の前で沈思黙考しながら正座した。

 およそ30分間かけて、生活用品を雑嚢に入れ、旅の準備を整えると、すでに、後輩の六期生は道場の前の庭で整列していた。長松の壮行会を開くためだ。死んだ母親の顔が浮かんできた。

 まず四元義正が壇上に立ち、挨拶した。

 「長松くんは、重要な任務遂行のため、東京に出る。おそらく生きて帰れないだろう。ただ、日本という国のため、重要な仕事だ。みんな送り出してやってくれ」

 長松は晴れがましい表情だった。

 「この道場では、四元先生の教えを受けて、きわめて有意義な時間を過ごせました。本当に感謝しています。二度とお会いできないかもしれませんが、私はお国のために、出陣します」

 大急ぎで道場所有の車に乗り込んだ。車窓からは、途中真夏の陽光を浴びる樹木などを眺めた。これで見納めだろう。子供のころ裏山で蝉取りしたことなどを思い浮かべた。