決死の脱出劇


 そして日本の運命を決めた14日。御前会議で、天皇陛下はポツダム宣言受諾を最終決定した。すべての閣僚が終戦詔書に署名したのは、午後11時過ぎになっていた。その後、日本政府は、連合国側にポツダム宣言受諾を伝えた。

鈴木貫太郎内閣の書記官長、迫水久常
 北原は一日中、貫太郎のそばに張り付いていたが、書記官長室で迫水と出会った。迫水の耳元で、「今晩陸軍が蜂起し、官邸を襲うという情報が入っています」と囁いた。迫水は北原に本音を漏らした。

 「今晩は総理の私邸に行かずに一緒に泊まっていただけないか」

 北原は無下に断るわけにはいかない。総理官邸でしばらく過ごすことにしたが、朝まで総理を私邸に放置するわけにはいかない。迫水には、「午前4時に車を用意してくれませんか。その後は、総理の私邸に向かいます」といった。

 午前4時。北原らはすぐに総理私邸に向かおうとした。しかし、迫水と約束した車は見当たらない。そこで車を借りるため桜田門の警視庁に向かった。

 長松は、官邸の門で陸軍の一個分隊10人ほどの姿を見た。軍人たちは「への字」の形で並ぶケサ型散開を完了、いつでも銃弾を撃てるように準備していた。北原は長松に対して「よそ見をせずまっすぐ歩いてついて来い」と指示した。

 のちに聞いたところ、この陸軍の分隊は東京警備局横浜警備隊長の佐々木武雄が率いており、横浜工専(現横浜国立大学工学部)の学生らも参加していた。

 佐々木は警察官数名に拳銃を抜いて「国賊を殺しに来た。刃向かう者は直ちに殺すぞ」といい、貫太郎暗殺を宣言した。それに対し、警察官は「総理はいま丸山の私邸に戻りました。あちらを襲撃すればいい」と告げた。当時の警察官は、士気が落ちており、反乱軍から総理を守ろうという気概はなかった。

 一方、北原は警視庁で「俺は内閣の者だ。官邸が襲撃された。総理私邸まで車を出してくれ」と頼んだ。

 警視庁は事態が緊迫していることを察知し、すぐにガソリン車のオープンカーを用意してくれた。運転手は警視庁の関係者で、助手席には長松が座った。この運転手は幸いにも、総理私邸付近の地理を熟知していた。

 ところが、車が二重橋前に差し掛かろうとした際、銃を持った兵士が「止まれ!」と叫んだ。車は仕方なく、止まった。

 「ここから一歩でも動いてみろ。殺すぞ」。一人の兵士は、銃先を車に突き付けてきた。

 北原はふいに「右に回れ」と大声で叫んだ。車が急発進し、兵士たちは道を空けた。車は加速し、総理私邸に向かった。この兵士たちは、上司を殺害し、終戦に徹底的に反対した近衛師団所属の反乱軍だったとみられる。皇居を占拠し、天皇が終戦の詔勅を読み上げた「玉音放送」の録音盤を奪おうとしていたグループだ。

 北原は、この反乱軍が占拠している宮城(皇居)前の広場を通るのは無理だと思い、宮城を逆回りすることにした。三宅坂、半蔵門から靖国通りに入り、九段を抜けて、小石川・丸山町へ急行するルートだ。