車が飯田橋の先の道を左折した際、付近で乗用車とトラックが見えた。三角青旗を立てていた。佐々木らの部隊はこの2台に分乗していた。一方、北原は運転手に「なんとか、あの車より早く到着してくれ」と命じた。運転手は裏道を猛スピードで走る。大塚仲町を経て、総理私邸に到着した。ちょうどそのころ、鈴木貫太郎は私邸から脱出しようとしていた。官邸から、襲撃隊が私邸に向かっているとの電話連絡があったからだ。

 貫太郎の私邸に到着した北原は、土足のまま家の中に入った。車の前で待っていた長松たちは「北原隊長が、鈴木総理の腕を引っ張って、玄関の外に出したのを見ました」と語る。高齢の貫太郎は動きがゆっくりしていた。やっと車に乗り込み、北原も同乗した。

 ところが当時、ガソリンの質が悪く、エンジンがかからない。長松は思い出す。「坂道だったのですが、親衛隊と警備の警察官がみんなで車を押してやっとエンジンがかかりました」。

 ぎりぎりのタイミングで貫太郎は脱出できた。それは「偶然の産物」だった。大通りを走っていた佐々木ら襲撃隊の車は、もうすぐそばにいた。しかし、大通りに面した総理私邸が質素なため、通り越していた。大通りの坂の上には大きな豪邸があり、そこが総理私邸だと勝手に思い込んでいたのだ。

 そして、もう1つの偶然があった。普段なら総理専用車は方向転換して大通りに面して駐車していたが、この日は、私邸に隣接する左折した道に頭から突っ込んでいた。そのため、総理専用車は裏道をそのまま進んだ。大通りを進んでいたならば、襲撃隊の車と鉢合わせとなっていた。

 佐々木ら襲撃隊はその直後に、総理私邸に到着。「総理はどこにいる」と叫びながら土足で私邸に上がり込んだ。そして、一部屋一部屋を押し入れまでチェックし、そのあとガソリンをまいて、火をつけた。鈴木の家は全焼した。空襲にも焼け残った家が灰燼に帰したのだ。

 消防団が駆けつけたが、「国を売った総理の家に水を掛ける義理はない」といって本気で消防活動に当たらなかったという。

 その後、佐々木らの部隊は、淀橋区西大久保にあった枢密院議長の平沼騏一郎の自宅に向かい、この家にも火を放った。