わたしはふと思い起こす。

 それは、かつて世を賑わせた劇団「天井桟敷」を主宰した故・寺山修司の詠んだ短歌である。

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 この歌を収めた歌集「空には本」は一九五八年の刊行だ。寺山が二十代前半、日本は最初の東京オリンピックを開催するまでにまだ六年を要する時期である。わたしは小学生になるかならないかだから、もちろん、こんな歌など知らない。知ったのは高校生の頃だったか、いくらか反感を持った。顔をしかめて煙草を吹かす姿が浮かんで、格好を付けて祖国うんぬんと言わないでほしいなと、少年のわたしは思ったのだった。今は、四十七歳で早世した寺山の問題意識の早さ、新しさを思う。まるで今回の編集部の問いを先取りしたかのようである。

東京大空襲で焦土と化した市街地。
日本橋上空から隅田川方面をのぞむ(米軍撮影)
 しかしわたしは、「お国のために死ねますか?」といった言葉を使わない。

 なぜか。

 敗戦前の日本社会について特定のイメージだけを固着する言葉だからだ。

 寺山修司もわたしも編集者も、たった今の小学一年生も「戦前とは、誰もがお国のために死ねと言われた時代」という刷り込みを教育からマスメディアから受け続けてきた。

 では逆に後世、わたしたちが「誰もが自分のことしか考えていなくて国のために命をかけることなどあり得なかった時代」と言われたら、それは事実だろうか。

 わたしごときのことを申すのを、できれば赦(ゆる)していただきたい。

 もしも祖国のために死ぬことができないのであれば、一度切りの生涯でこれだけはやりたくなかった選挙に出ることは無かったし、この仕事にだけは就きたくなかった国会議員になることも無かった。

 誰もが、その人生にご自分なりの原則があるだろう。

 自分を売り込まない。

 それが、わたしなりの幾つかのささやかな原則の大切なひとつである。だから、おのれを売り込む選挙はあり得なかった。何度、誘われても一蹴してきた。

 だが遂にやむにやまれず、シンクタンク(独立総合研究所)の社長、作家、いずれの仕事もやっと軌道に乗り始めたおのれの人生を壊して今夏の参院選に参加してみると、売り込むことをせずとも一緒に考えてくれる沢山の有権者に出逢った。

 いかなる組織、団体の支援も断り、したがって一人の動員も無くただ語るべきを語って遊説していく、ただそれだけで四十八万人を超える人々が投票し連帯なさった。

 わたし個人がどうということでは全くない。やむにやまれぬ同じ思いを抱える国民が少なくとも五十万人近いということなのだ。