さて、八月十五日をなぜ、終戦の日と言わずに敗戦の日と呼ぶか。

 わたしは左右から攻撃される。いわゆる右から「日本は負けていない。アジアの解放に勝利した。敗戦と言うな」と難詰(なんきつ)される。

リオデジャネイロ五輪競泳男子400メートル個人メドレーの表彰式で
掲げられた日の丸。萩野公介が金、瀬戸大也が銅メダルを獲得した=6日(共同)
 ベトナムやインドをはじめアジアの国と民の独立を日本軍が助けた。それは現地を丹念に歩けば実証、実感できる。だが、日本は助っ人であり、独立を勝ち取ったのはあくまでもその国と民自身であることを深く自覚してこそ、日本の再評価ができる。

 左の自称リベラルからは「ようやく戦争が終わったというのが庶民の気持ちなのに」と責められる。

 ゆめ、庶民の味方を僭称なさるな。僭称であることは、東京都知事選での自称リベラル派候補の惨めな言動でもう、ばれている。力を合わせて戦った庶民が「終わった」という深い感慨と同時に「負けるはずはなかったのに負けた」と現実を直視する実感を持っていたことは、多くの記録が物語っている。

 終戦ではなく敗戦であると直視すればむしろ、「ただ一度、負けたからといって勝者の言うことを金科玉条にすることはない。世界の主要国はみな敗戦を経験している。日本はそれまで経験していないから、負けたあとこそみずからを確立するという世界の常識を知らなかっただけだ」という真っ当な現実認識に近づく。

 そして勝者アメリカもイギリスも今、いったん壊れゆく。すなわち勝者の造った戦後秩序の解体である。敗戦国日本の出番が来ている。海に抱擁するメタンハイドレート、熱水鉱床、レアメタルといった自前資源を実用化して安くフェアに世界に出し、世界でいちばん安全で美味しい農産物をつくる小規模農家の創意工夫を大切にし、その食料をも世界にお分けする。そうやって、世界が資源と食料をめぐって争い、戦争になる時代を超克する。これが本物の平和国家である。

 そうすれば敗戦後の日本社会に初めて、共通の目的が生まれる。子供たちは何のために勉強するかの根本が分かり、社会人は何のために働くかの新しい目的が分かり、人間関係に苦しんで自分を見失うことを克服していくだろう。

 一身を捧げて惜しくない祖国が、そこに姿を現す。おのれを信じよう。日章旗をブラジルの大地に掲げた、この夏の日本選手のように。