「石島」は竹島/独島ではない


 ところが、この問題に対して本件新聞記事の中の「東西が60里、南北が40里なので合わせて200余里」という記述が答えを提供することとなった。この一文を読めば、たいていの人はこれは長方形の四辺について述べたものだと解釈するのではないだろうか。この一文は、統監府の質問のうちの「鬱陵島の所属島嶼」に対応しているように見える。つまり、所属島嶼はどこどこかと質問されて、所属島嶼は「竹島」と「石島」なのだがそういう名前の回答だけでは位置関係が全く分からないから、それは「東西60里、南北40里、合わせて200余里の長方形の範囲にある」と回答したのだと読むのが自然な読み方だろう。つまり、鬱陵島とその付属島嶼の範囲――それはすなわち「鬱島郡」の範囲だが――をそういう形で回答したものと考えられる。

 朝鮮の1里は0.4キロという。そうすると鬱島郡の範囲は東西24キロ、南北16キロの枠の範囲であり、鬱陵島自体の大きさは東西・南北ともおよそ11キロ程度なので、鬱島郡の付属島嶼は鬱陵島からそれほど離れていないということになる。ところが竹島/独島は鬱陵島からおよそ90キロも離れている。ということは、勅令に規定された「石島」は竹島/独島ではないことが、言い換えれば、韓国政府が唱えている主張がウソ偽りであることが、この新聞記事から明らかになってしまったという状況がある。

 この「鬱島郡の配置顛末」の記事は、「杉野洋明 極東亜細亜研究所」というブログにおいて「本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠」という題の記事で2008年2月2日に紹介され、同月22日付の山陰中央新報でも「「石島=独島」説否定の記述見つかる」という見出しで報道されたことから、竹島問題に関心を持つ人たちの間では一躍有名になった。また、2014年3月に発行された『竹島問題100問100答』(島根県第3期竹島問題研究会編)においても、そのQ37において「・・・・・回答により1900年、大韓帝国勅令の「石島」が竹島ではないことが確認された」と紹介された(このように韓国政府の主張を正面から否定する史料があるとなると、さすがに韓国側の研究者たちも無視できなかったようで、いくつかの反論らしきものが提出されているが、いずれも説得力のあるものではない)。
 
  以上のように、「鬱島郡の配置顛末」の記事は韓国政府の竹島/独島領有権主張の大きな柱である「石島=独島」説を否定するという重要な意味のあるものだが、そのこととは別に、この記事にある照会と回答が行われた経緯を探っていくとさらに重大な意味が浮上する。統監府がなぜ1906年という年に、鬱島郡の設置という一見したところではどうでもいいようなことを韓国政府に質問したのか、ということだ。