1906年のできごと

 日本の竹島領土編入決定は1905(明治38)年1月のことだった。編入に当たって、明治政府は竹島を領土とすることについて韓国政府に対して事前通知も事後通知もしなかった(国際法上、そういうことが求められていたわけではない)。そうして約1年が過ぎた1906年3月28日、島根県の神西由太郎部長一行が新領土となった竹島を視察した後に鬱陵島を訪問するという出来事があった。部長一行は郡庁に郡守沈興沢を表敬訪問したのだが、そのとき一行は「このたび竹島が島根県の管轄になったので視察したのだが、そのついでにここ(鬱陵島)に立ち寄った」という趣旨のあいさつをしたという。このことによって、竹島が日本領となったことが初めて韓国側に伝わることとなった。

 これに対応した郡守沈興沢は、竹島/独島が日本領になったということを聞いても特段の反応を見せなかったが、その翌日付で上司に宛てて有名な次のような報告書を発した。

 本郡所属独島が本郡の外洋百余里外にあるが、本月四日に輸送船一隻が郡内の道洞浦に来泊し、日本の官人一行が官舎に来て自らいうに、独島がこのたび日本領地となったので視察のついでに来訪したとのこと。その一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西由太郎、税務監督局長吉田平吾、分署長警部影山巌八郎、巡査一人、会議員一人、医師・技手各一人、その外随員十余人だった。まず戸数、人口、土地生産の多少について質問し、また人員及び経費の額など諸般の事務を調査して記録して行った。以上報告するのでよろしくお取り計らい願う。

(注:「本月四日」は旧暦によっている)

 報告の冒頭にあるように、郡守沈興沢は理由は不明ながら独島/竹島は「本郡所属」だと認識していた。この報告が政府に届いた後、その報告に接した内部大臣李址鎔は、「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣朴斉純は「報告は見た。独島が日本の領地になったというのは事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示したりしたが、複数の新聞もこの報告を報道した。

韓国が不法占拠を続けている竹島(聯合=共同)
韓国が不法占拠を続けている竹島(聯合=共同)
 1906年5月1日付大韓毎日申報は「無変不有」(変無きにあらず)という見出しで「鬱島郡守沈興沢が政府に報告したところによれば、日本の官員一行が本郡に来到し、本郡所在の独島は日本の属地だと自ら称し、地界の広狭・戸口結摠をいちいち記録して去ったとのことだが、内務部からの指令によれば、遊覧の際に地界・戸口を記録して行くのは容或無怪(理解できないでもない)だが、独島を日本の属地と云うことは必無其理(全く理が無い)ことなので、今こういう報告を聞いて甚渉訝然(非常に疑念を感じる)であるという」と報じた。

 また、同月9日付皇城新聞は、「鬱倅報告内部」(鬱島郡官吏から内務部への報告)という見出しで「鬱島郡守沈興沢氏から内務部への報告によれば、本郡所属の独島は外洋百余里の外にあるが、本月四日に日本の官吏一行が官舎に来ていうには、独島が今日本の領地になったので視察のついでに来到した。一行は、日本島根県隠岐島司東文輔及び事務官神西田太郞と税務監督局長吉田坪五、分署長警部影山岩八郞と巡査一人、会議一人、医師・技手各一人、その他隨員十余人で、戸数人口、土地の生産の状況と人員及び経費の状況、諸般の事務を調査記録して帰ったという」と報じた。

 二つの記事のいずれも、沈興沢が報告したとおりに「鬱島郡の所属である独島が日本の領地になった」という報道をしている。加えて、大韓毎日申報のほうは内部大臣が「独島を日本領土というのは全然理がないこと」と反応したことも伝えている。つまり「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という意味のニュースが世に出たことになる。

 そして、その後に、統監府から韓国政府に対して鬱島郡に関して照会があり、これに対する韓国政府の回答が出され、その回答が同年7月13日付皇城新聞に掲載されたという経過になる。

 このような経過を見れば、統監府がなぜ鬱島郡の設置に関して質問したのかは明らかだろう。「大韓帝国の領土が日本の領土になった」という意味のニュースが出たことに対して、日本が領土編入した竹島は本当に鬱島郡の管轄下にあったのかどうかを確認しようとしたのだ。

 そういう動機から照会したのだということは何かの史料によって立証できるわけではない。しかし、そう考えればつじつまは合うし、逆に、そういう動機を除外して、他に過去の鬱島郡設置の決定について質問する理由というものは見当たらない。だから、統監府の照会の動機・目的は竹島/独島が本当に鬱島郡の管轄下にあったのかを確認するためであったと見てまず間違いないと言える。照会を受けた韓国政府としてもそういうことを感じただろう。

   仮にそうでないとしても、韓国政府としては「大韓帝国の領土である独島が日本の領土になった、これは不当なことだ」という認識でいるところに、統監府から「鬱島郡の範囲はどこまでですか」という意味の質問が来たということになるから、いずれにしても、回答するにあたっては沈興沢の報告を十分に念頭に置いて回答をするということになったはずだ。