筆者が相談を受けた中には、3年近くたってからうつ病となったという方もいます。精神科を含む病院を受診し、学業を中断され、実家への帰郷を余儀なくされた本人の苦しみ。家族の心労や、経済的負担も驚くほどです。しかし、当初から、ワクチンの副作用とは全く気付かれませんでした。気づいたとしても申請すらできないし、「どうしたらよいかわからない」という状態です。この方に限らず、遅延性のものがあり、状態も好悪を繰り返す被害者も多くいるようです。

 こうした中、医療者、研究者の間では、個別の症状を分断してとらえたり既存疾患にあてはめたりしないで、ワクチンによる過剰な免疫反応が引き起こす疾患群として、HPVワクチン関連神経免疫異常症候群(HPV vaccine-associated neuroimmunopathic syndorome)と呼ぶことも提唱されています。検査では異常はでない、治療法が確立していないものについて、丁寧な分析をし、救済への足がかりを提供するものといえます。

 これに対して、国の審議会の座長はHANSは病名ではないとして、殊更無視をしています。心因性のものとして認知行動療法をすすめる国と、多くの症例をていねいに分析して被害救済を訴える研究者、どちらが医療者として適格か、良心があるかは明白でしょう。国が因果関係は治療に無意味との見解を重用し、因果関係を否定し、責任を認めることをあくまでも拒否するのであれば訴訟以外に取るべき道はありません。

医学的原因解明の困難にどう立ち向かうか

 子宮頸がんワクチンの副作用の医学的な原因は未だ解明されていません。子宮頸がんワクチンは遺伝子組み換え技術で作成されたウイルス様粒子(VLP)にアジュバントと外来DNAなど自然免疫を活性化する数種の成分が含まれているとされています。どの成分が激烈な免疫応答を示すかは科学的に解明されていません。よく、海外では副作用被害は発生していないとか、日本ほど発生していないなどと言われますが、海外でも副作用は大きな問題となっており、報告のトップは神経系関連障害とされています。自己免疫疾患や神経障害が多数報告されています。日本でも海外でも医学的な原因究明の努力がされていますが、未だ、原因は明らかになっていません。

 子宮頸がんワクチンに限らず、ワクチンにより自然免疫の強力な活性化や炎症反応により、神経障害の臨床症状が発生することは、その原因物質がアルミニュームや水銀(チメロサール)に由来するのではないかと指摘されてきました。原因がわからない中で、どう法的救済につなげるのか。因果関係が認められなければ、当然損害論までたどり着けない日本の司法制度の中で、過去の4大裁判でいかに原告が勝訴することができたのか。白木4原則が果たした役割を紹介します。

 予防接種禍4大裁判で原告側証人として活躍され、水俣病、スモンでも原告側の証人として証言された、白木博次博士は著作(藤原書店 冒される日本人の脳より「 」内引用)の中でこう述べられています。白木博次博士は、優れた臨床神経病理学者ですが、化学物質とそれよる被害の因果関係の立証は極めて困難とし、終始、厳密細心に自然科学の手続きを踏みながら、同時にそのなかで、(物)の局面での「客観性」に固執して魂の訴え(自覚症状など)を軽視する科学の手法の本質的な限界に警鐘を鳴らしながら、今日の科学技術文明は、自然には存在しない人工化学物質の多用による速効性の追求と、反面、そのマイナスの副作用の顕在化を特色とするとしています。

 ワクチン禍の医学的解明は、ほとんど不可能に近いとし、ワクチン禍の総論または原則論を組み立てるのに参考になる医学関係のわが国の文献は全くないに等しいということで、自分で考えられたのです。白木博士の因果関係の立証のための白木4原則は、①ワクチン接種と予防接種事故とが、時間的、空間的に密接していること、②他に原因となるべきものが考えられないこと、③副反応とその後遺症(折れ曲がり)が原則として質量的に強烈であること、④事故発生のメカニズムが、実験・病理・臨床などの観点からみて、科学的・学問的に実証性や妥当性があること、の4つを組み合わせて、その蓋然性の高低の視点から、ワクチン禍の有無を考えることを提唱しました。

 そして、現にある被害は動物実験のように条件づけできないので、あるがままの状態を受け取る経験科学ととらえ、4つの原則論の組み合わせによって蓋然性が60%以上の確率によりワクチン禍の存在を肯定すべきとし、これが全国の裁判所に受け入れられたのでした。(その後の因果関係判定のためのルンバール事件[注3]も同様のロジックである[注2])。白木博士の卓越した点は、東京裁判以外の全患者を診察、CT、MRI、PET、脳波などの特殊検査を加味し、主として母親と近親者の聞き取り調査も行い、死亡した患者の剖検所見も参考として、その実態について総合的に把握することを怠たらずにされたことです。