当事者の声を聞かない報道は、あなたと常識を支配する


 さて、NHK『バリバラ』が障害者自身のニーズをふまえているのに、日テレの『24時間テレビ』はそれができないのか? そして、なぜ両足に麻痺が残る少年を無理やり登山に連れて行き、父親にどつかれることまで「感動」に仕立てあげようとしたのか?

 同じテレビ番組でも、番組の制作費を誰が出すによって、制作方針が変わって来るからだ。

 NHKは、番組制作費に充てられる視聴料を直接、視聴者から受け取る。視聴者からの声に応えなければ、当然、NHKに直接苦情が入り、局内で問題になる。 そうなれば、視聴者はNHKに視聴料の不払いをしかねない。不払い者が増えれば、番組制作費が減り、最悪の場合、局内の誰かのクビが飛ぶ。

 一方、企業がCM枠で莫大な広告費を提供し、それを番組制作に充てている民放は、NHKのようなリスクは負っていない。視聴者が特定の番組に対して不満でも、局やBPOに苦情を言う人が一部に出てくるものの、よほどのことがない限り、企業が一斉にスポンサーを降りることは珍しい(※かつてはあった)。

 民放テレビ局・ラジオ局にとって、広告は主な収入源なので、スポンサー企業を喜ばせるには、視聴率の高いコンテンツが最優先の番組制作の方針になる。

東京・渋谷のNHK放送センター
 視聴率を上げるには、より多くの人が観たがる番組を作る必要がある。それを「多数派が観たがる内容」という具合に誤解すれば、マイノリティ(社会の中で少ない属性の人たち)は出演者やスタッフから日常的に除外される。

 障害者はもちろん、LGBTや外国人、帰国子女や中卒以下の低学歴層など、マイノリティとして判断された人は、番組制作のメインとしては認知されないのだ。それどころか、そうしたマイノリティに光を当てるはずの番組でも、マイノリティ当事者の声をあらかじめ尋ねることはしない。

 実はこれ、東京在住者の作法かもしれない。NHKの『バリバラ』も、NHK大阪が制作している番組なのだ。 在日外国人、ホームレスなど、障害者以外にも差別の問題が根強く顕在化している大阪だからこそ、「笑い」に包んで現実を浮き彫りにさせるという作法が生きている。

 同じEテレで自殺関連の番組が、自殺を思いつめたことのある視聴者の一部に不信感や嫌悪感が根強くあるのは、自殺経験の当事者の声をそのまま番組に反映させようという作法が成熟していないからだろう。

 成熟していなくても、彼ら自身は、視聴率さえとれれば何も困らないのだから、成熟を動機づけるチャンスはあらかじめ失われている。

 このままだと、ディレクターが番組を制作する以前の企画段階でも、当事者の声を十分に取材しないまま企画書を作るという悪習慣も温存される。そういう番組制作の現場では、よく知らないマイノリティについて頭の中の妄想や一般的なイメージを裏付ける映像さえ撮れれば、仕事が終わってしまう。

 それは、マイノリティの既存のイメージを上塗りするだけであり、前述のステラさんがもっとも嫌うことだ。