それでも、そのような安易な方法で番組を作る方が、短時間で視聴率が取れる仕事ぶりになるのだから、やめられないのだろう。もちろん、本物の取材というのは、それまでのイメージやものの見方を根本的に変えてしまう文脈を現実の中から新たに発見することだ。

 たとえば、家出人を「不良」と一方的にみなす風潮があるが、現実の家出人は親からのひどい虐待から避難するために家から飛び出し、早めに安定した居場所と仕事を得ている。家出後の生活はふつうの人と変わらないので、ドラマチックな映像にはならない。

 すると、凡庸なディレクターは「視聴率が取れない」と嘆き、過激な暮らしぶりをしているレアケースの家出少女の売春を探し出しては撮りたがり、それが家出のマスイメージとして定着してしまったのだ(※家出人で犯罪の加害・被害に遭った人はたった6%程度/警察庁の発表)。

 以上をふまえれば、テレビや新聞といったマスメディアが、障害者だけでなく、マイノリティの人たちを「同情すべき人」あるいは「感動を与える存在」に仕立てあげてきた事情を理解できるだろう。

 3・11の本でも、やたらと感動の文脈で売れ筋に仕上げた“ノンフィクション”が書店に並んだ。そうした「感動」は、当事者の求めるものと違うのは明らかだ。

 マイノリティ当事者をダシにして、自分の稼ぎを守ろうとする人たちを、僕は軽蔑する。それは、当事者にしか持ち得ない固有の経験や苦しみという価値を、自分自身の生活のために奪う「さもしい作法」だからだ。

 むしろ、他人を害しても平気でいられるそのさもしい作法こそ、キャリアポルノと呼ぶにふさわしいのかもしれない。

 『24時間テレビ』では、1年間に1度しかない全国放送のチャリティ番組なのに、障害者の自発的な意志とは無関係に無理強いをさせ、そのことによって出演する芸能人は莫大なギャラをもらい、広告代理店とテレビ局は大儲けしている。

 しかも、小さな子どもが1年間、一生懸命に貯金箱に入れて、寄付したお金は、福島の被災地にオカリナ100個を提供するのに使われるなど、TVチャリティでしかできないわけでもない用途に使われている。

 もちろん、福祉車両を福祉団体に寄付してもいるが、団体へ施しをすれば、団体自体が自分たちの力で活動経費を賄うだけの自助努力を動機づけなくなり、結果的に団体にはいつまで経っても経営力が身につかず、『24時間テレビ』への依存度が高まるばかり。これでは、団体の世話になっている障害者も、全国各地で着実に増えている「自分のやりたい仕事を作り出す取り組み」を、ゆめにも思わなくなるかもしれない。

 当事者の声を大事にしない報道は、取材対象・視聴者・寄付者などを支配し、常識やマスイメージを固定させ、マイノリティの苦痛をいつまでも温存するのだ。

 しかし、時代はいまこの時も、常に変わり続けている。魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが、当事者の自立・自由・尊厳を守る。難民にネイルアートを教えて仕事を作り出しているアルーシャのような事例も増えている。

 番組制作も、福祉の仕事も、ソーシャルビジネスへ変えていくことで、当事者満足度の高いものに進化させていく時代なのだ。報道関係者だけでなく、視聴者のあなたも覚えておいてほしい。
(「今一生のブログ」より2016年8月30日分を転載)