「24時テレビ」が批判される2つの要因


 「24時間テレビ」に対する批判や嫌悪は、今に始まったことではない。しかし、それが昨今のように、急激に表面化し、国民的な議論へと発展してしまう背景にあるのは、「一億総ネット評論家時代」ともいえる社会状況だ。

 従来であれば、ゴシップレベルの批判や個人的なオピニオンやメッセージで終わっていたものが、近年ではSNSを使い、誰もが自分の主張を不特定多数に発信できるようになった。決して少なくない頻度で、無名の個人(でしかも匿名)の意見が、社会性をもったオピニオンとして拡散されてしまう。

日本テレビ系「24時間テレビ」で司会をするアナウンサーの徳光和夫=1998年
日本テレビ系「24時間テレビ」で司会をする
アナウンサーの徳光和夫=1998年 
 近年急速に「24時間テレビ」への批判がネット炎上を着火点として加速している背景には、大きく2つの要因がある。

 まずひとつ目は、上述した「チャリティー標榜ビジネス」に対する嫌悪や不信感だ。欧米では、ハリウッドスターなどが無償でチャリティーイベントに参加するのは常識だ。一方で、「24時間テレビ」では、出演者にはしっかりとギャラが支払われる。もちろん、高額ギャラの人気タレントたちが出演することで、視聴率を上げ、話題性が高めれば、広告価値が高まり、それは巨額の広告収益を生む。それがテレビ局および周辺企業の売り上げとなるわけだが、この構造に対して不信感や嫌悪感は持ってしまう人は多い。

 もちろん、福祉やチャリティーといったことを国民的な関心として盛り上げて行くために、行政や関係団体が巨額の広報費用、啓蒙活動費を利用していることを考えれば、「24時間テレビ」で得られる収益や、そこでやり取りされる巨額なギャラなどは、チャリティーや障害者問題の啓蒙活動のための「必要経費の範囲内」と言えるのかもしれない。よって、ギャランティの有無や商業性の大小に関しては、非常に難しい問題をはらんでおり、一概に明言できないのが実情だ。

 よって、「24時間テレビ」がチャリティーの理解を深めるための啓蒙活動として価値を持ち、そのための広報費、啓蒙活動費として「24時間テレビというビジネス」が許容できるなら、それほど大きな問題は起きない。しかし、実際には大きな騒動として議論され、デマや揚げ足取りを含めた様々な批判が飛びかっている。その理由は、視聴者が「24時間テレビ」に対してチャリティーや福祉の啓蒙番組としての価値や意義を見いだせていない、ということにあるのではないだろうか。

 2007年の「24時間テレビ」チャリティーマラソンにおいて、ギャラを全額寄付したと言われている欽ちゃんこと萩本欽一氏のエピソードが、番組における美談・逸話として有名である。しかし、よく考えれば、これが美談・逸話としてあつかわれること自体が「24時間テレビ」の特殊性を示している。