そして2つ目が「一億総ネット評論家時代」の確立と成熟だ。従来であれば、「放送しっぱなし」でも許されたテレビ番組。しかし今日、チャリティー番組に限らず、あらゆる番組が、少数のコア視聴者たちによって事細かに検証され、その問題点や疑問点がエビデンスや比較対象資料までつけて分析され、ブログなどで即座に公開され、SNSで拡散されてゆく。その真偽はさておき、意図的な表現改ざんなどの編集を繰り返しつつ、無限に広がるという評論フローが完成している。

 当初はアンダーグラウンドな「暴露話」「都市伝説」レベルであったネット評論も、2000年代に入り、一定の検証性や客観性を帯び、リアル社会にも影響を及ぼすようになったものも登場するようになった。

 例えば、2002年4月に放送されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」は、そういった動きの最初期の事例である。「奇跡の詩人」は、重度の脳障害をもつ11歳の少年が、民間療法ドーマン法のよって驚異の能力を発揮するに至り、文字盤を利用して複雑なコミュニケーションをし、著書を執筆・出版するなど、健常者以上の才能を開花させている状況を取り上げたドキュメンタリーである。

 しかし、放送直後から、ネットを中心に疑義が噴出した。母親が操作する文字盤を少年が指差すことで文章を作る・・・としているが、よそ見をしている時でも、文字盤を指差す(指を動かされている)などが事細かに検証された。その結果、製作責任者が釈明放送をするにまで至った騒動だ。

 近年でいえば、2014年に起きた小保方晴子氏を中心とした「STAP細胞騒動」がある。この時は、匿名のネット民(だが、おそらく専門に精通した研究者)により、ネイチャー誌に掲載された論文から彼女の博士論文の検証がなされ、論文の取り下げはもとより、博士論文の取り消しにまで発展した。

 もちろん、2015年の「東京五輪エンブレム騒動」も同様だ。佐野研二郎氏によってデザインでされた東京五輪のエンブレムの類似指摘に端を発し、その後、続々と五輪エンブレム以外のあらゆるデザイン物に対して「パクリ」指摘が相次いだ。その細かな検証結果は、ネットで拡散され、前代未聞となる五輪エンブレムの取り下げ、再公募となったことは記憶に新しい。(ことの経緯、炎上過程については、拙著「だからデザイナーは炎上する」中公新書ラクレを参照)

 これらの全ては、「一億総ネット評論家時代」でなければ起き得ない騒動だろう。これまでも同じような検証者はいただろうが、それを不特定数の表明する手段も、拡散させる方法もなかったからだ。言い換えれば、無限に存在するネット上の情報やコンテンツがあれば、揚げ足取りでも、自分の検証や理論を立証させるエビデンスを収集することは容易だ。対象者を貶め、攻撃するエビデンスとは、理論的検証能力というよりは、むしろ「ネット内での発掘能力」なのだ。