エグザイルは貧困の怒りを代弁しない


 だからこそ、貧困層が愛する「文化」が、そうした多様なことばや価値をもつ必要があるのだが、コロンブスの卵的にどちらが先かはわからないものの、貧困層やその代表的生活様式のひとつである「ヤンキー」層が愛する文化は、徹底的に細く紋切り的なことばや価値しかもたない。

 それはたとえば、エグザイルの作品に現れている。
 ちなみに僕はエグザイルのアツシが結構好きで、アツシが無謀にもアメリカ進出というかアメリカ修行に行くこと(EXILEのATSUSHIが2018年まで海外へ 決断した思いを語る)にはガッカリ感はあるものの、数で勝負するヤンキー/アンダークラス文化のトップにいるアツシが人員キャパを超えるエグザイルから「押し出される」ことは仕方がない(ヤンキー文化と「数」はこれ参照→ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』)。

 ちなみに元祖ヤンキー代表といえば矢沢永吉だが、ミドルクラスばかりの当時の日本社会ではエーちゃんはマイナーであり、またエーちゃんは『成り上がり』というベストセラー本も書いた。エーちゃん自ら、自分のナマのことばで、「自分」を語る人だったのだ。

 が、エグザイルは徹底的に紋切り型だ。典型的な愛のことば、若者のことばが詞にはあふれるが、それは無難な若者世界観を表象しており、ロック的エゴイズムもない(マーケティング的にロック的うっとおしさを排除している)。
 エグザイルははじめから貧困層を狙っているわけでもなく、実際、中間ミドルクラス層にも好きな人はいるのだろうが、多くのアンダークラス若者にも結果としてて支持されている。

 その結果、無難なエグザイルのことばは、アンダークラス若者の「気持ち」を無難な世界として閉じ込める。現実の貧困アンダークラス若者はもっとセンシティブだったり暴力的だったりするだろうが、そうした微細さは紋切りな愛の言葉が発現を抑止する。

 結果として、エグザイルは貧困の怒りを代弁しない。