例えば、「パソコン未所有エピソード」はその象徴だ。

 「(誰でもが持っているはずの)パソコンを持っていない→貧困」のように描かれ、「子どもの貧困」ぶりが強く印象づけられている。しかし、冷静に考えてみると、「パソコンの有無」と貧困のレベルは必ずしもイコールではない。

 番組では、「パソコンすら持っていない→貧困」というステレオタイプなイメージで貧困が描かれる。しかし、それが現実の貧困を象徴できているわけでも、反映しているわけでもないことはすぐにわかる。

 この「ステレオタイプな貧困のイメージ」とは、言い換えれば「NHK(の制作者)が思い込んでいる貧困のイメージ」に過ぎないからだ。その上、番組自体に結論はなく、ただ「主人公である貧困女子高生」の窮乏メッセージが流され、それが印象づけられるだけという内容である。報道番組的な検証性や客観性は「ほぼない」といっても良い。

 もちろん、NHKが答えるように、「経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった」という主張それ自体は理解できる。テレビに顔を出して発言した「貧困女子高生」の勇気は評価したいところだが、その一人の発言だけで、「子どもの貧困」の「ある一定の方向」に強く印象付ける手法は、NHKによる印象操作を疑われてもしかたがない。新橋の駅前で、ほろ酔い加減もサラリーマン数名を取材した内容を「世論」として公表するようなものだ。

 NHK(や制作者)が持つ個人的な「貧困のイメージ」が、現実の貧困や反映していないのは当然だ。しかし、そうならないように、現実を可能な限り客観的に描き、伝えるために、報道番組は存在しているはずだ。そのために報道には十分な取材や検証が求められている。


 「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく」というNHKの釈明も、後付けでしかない。報道なのだからそのように明記すべきか、それがあくまでも「参考のひとつ」であることを明示しておけば、発生しなかったかもしれない騒動なのだ。