学校の教員が、生徒全員パソコンを私的に持っており、十分に習熟しているとを前提に、専門用語や使い方の説明をせずに授業を進めている可能性もあろうが、それはまた別の問題である。その教員の授業方法の問題だからである。教員の質、授業の方法として改善すべき問題だ。

 経済的事情で、十分にコンピュータ環境を整備できない家庭もあるだろうが、それは「貧困で鉛筆が買えない」「貧困で給食費が払えない」と同レベルのものではないはずだ。そもそも、パソコンの利用環境の確保は、今日、それほど難しくはない。図書館や公民館などの公共施設でいくらでも利用することはできる。少なくとも買うことができないからといって、「キーボードだけを購入する」などという無駄をする必要はない。
 学校の授業で用いる機器を私的に持っていないことを「貧困エピソード」にすること自体が現実離れしていることに、NHKや制作者はなぜ気づかないのか、理解に苦しむ。顕微鏡や試験管やガスバーナーなどを持っている中学生などほとんどいないのと同様だ。

 明らかに演出や編集に作り手の一方的な先入観や主観的主張が入り込んでいるわけだ。その意味では、自分の経験や貧困感覚を素直に話しただけの「貧困女子高生」は、番組制作者の主観的な意図に利用された結果となり、 「SEALDsメンバー」にも似た同情を禁じえない。

 騒動の発生以降、「番組内の貧困女子高生は貧困か? それとも捏造か?」といった、実はどうでも良いことばかりに注目が集まっているが、それは問題の本質を失わせる。たまたま今回は「パソコンの有無と貧困」を安易に結びつける演出(しかも、貧困の象徴のように)であったが、これはどんなテーマ・内容であっても起きうることだ。

 「今どきパソコンを持っていないなんて、なんて貧乏なんだ!」という制作者の一方的な思い込みで作られた番組であることは明白だが、その先入観になんら疑問を持っていないのだたすれば、公共放送であるNHKならびに制作者たちの客観性や一般的な感覚の乏しさに驚かされるばかりだ。これではNHK総合職の「平均年収1624万円」を揶揄されても仕方がない。


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