いま、「国民的アイドル」と書いた。一義的に捉えづらい「平成」という時代だが、もちろんそれは、端的に今上陛下とともにある。「平成」の時代とともにあるSMAPが解散を発表する直前、今上陛下による生前退位の意向を示す「お気持ち」の表明があった。必然、両者を重ねるような物言いが、とくにネット上で散見された。SMAPの解散発表と今上陛下の「お気持ち」表明の時期の一致に対して過剰に意味を見出す必要はないが、両者を重ねて見る心性は理解できる。両者はともに、「国民」という共同幻想を顕在化させている、と言えなくもない。天皇はもちろん「国民」統合の象徴だし、SMAPも「国民」的アイドルと言われ続けている。中森明夫はかつて、『アイドルにっぽん』(新潮社)において、「天皇は、日本国のアイドルである」と痛快な見立てをしていた。SMAPと天皇は、当然のことながらまったく異なる存在だが、両者に共通点を無理矢理見出すとすれば、その身をもって共同幻想を成立させる、ということだと言える。ましてや現代は、「あれから僕たちはなにかを信じてこれたかなあ」と考えざるをえない不確かな時代である。そんな「自分が日本人であるということはもちろんわかっていても、そのことに特別な意味を見出せなくなっている」ような時代において、「国民」という共同幻想を顕在化させるのは、なにより天皇であり、少なからずSMAPだったのかもしれない。

 今上陛下の「お気持ち」表明とSMAP解散騒動を連続で見て感じたのは、誰かの自由を犠牲にしながら、かろうじてまとまっているような「日本」社会のありかたである。SMAPデビューからまもまなく四半世紀、芸能という民俗学的な問題を、天皇(制)をめぐる議論も含んだかたちで問い直す時期だと思っている。