個人的には、2000年代に入ってからのSMAPには不満を持っていた。国民的アイドルとして巨大化するにしたがって、新しい男性アイドルのパイオニアとして切り開いてきた彼らの芸能活動が、どんどん保守化していっているように感じたからだ。

 特にテレビドラマに関しては不満が多かった。同じジャニーズでも『タイガー&ドラゴン』(ともにTBS系)等の宮藤官九郎・脚本のドラマに出演することで、役者としての才能をみるみる開花させていった長瀬智也や岡田准一にくらべると、SMAPのドラマをめぐる座組みは保守的なものに思えた。

 そんなSMAPがここまで延命できたのは、彼らを脅かすような次世代の才能が育ってこなかったからだ。あえて彼らを脅かす存在がいるとすれば嵐なのだが、同じジャニーズ事務所のグループで上手い具合に棲み分けができていたために、競合することはなかった。

画像はイメージです
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 また、2011年の東日本大震災以降は、日本の空気自体が保守的なものとなり、既存の価値観を破壊するような新しいものを求めるよりは、今にも瓦解しそうな我々の日常の拠り所となる変わらないものを大衆が求めるようになっていったように感じる。

 SMAPは、その期待に応えることで国民的アイドルとしての存在感を改めて増していった。特にそれを感じたのは2014年の27時間テレビで彼らが総合司会を担当する姿を見た時だ。Twitterのタイムラインを見ていると、SMAPと同世代の人たちの反応がとにかく感傷的だったのが印象的だった。テレビに映るSMAPはさすがにメンバー全員がアラフォーということもあってか、精神的にも肉体的にも、ひどく疲れているようにも見えた。

 その姿を見た時に思ったのは「がんばれ」という応援する気持ちよりは、そこから降ろしてあげるべきではないのか、という憐みにも似た感情だった。このまま彼らに過度な期待をかけすぎると、いずれ良くないことが起きるのではないかと思って、見ていられなかった。

 そんな27時間テレビの印象があったので、解散をあえて「解放」だと語った。しかし、世の中というのは残酷なもので、そう簡単に解放してもらえないのだと思い知らされたのが、例の謝罪会見である。

 ネット上では公開処刑と言われていたが、あの会見で、自由なアイドルとしてのSMAPのブランドイメージは殺されたと言っても過言ではない。おそらく、テレビドラマで彼らが演じる役柄も変わらざる負えないだろう。

 特に木村拓哉が今まで体現していた自然体のヒーローを演じることはこれからは難しくなっていくのではないかと思う。テレビドラマにおいて重要なのは役者の持つイメージで、それがそのまま配役に反映されることが多い。だから一度スキャンダルが起きると演じる役は変わらざるおえなくない。

 金銭的な喪失なら後からでも取り返せるが、今まで育んできたブランドイメージの失墜は中々取り戻せるものではない。その意味で彼らは、何だかんだと言っても、アイドルだったのだ。

 正直、SMAPが独立することをジャニーズ事務所が許容していれば、双方にとって、ここまで大きなダメージにはならなかったと思う。しかし、謝罪会見以降のメディア展開が、SMAPとジャニーズ事務所のイメージを、これ以上ないくらい悪化させてしまった。