取材を受ける中で、その場で考え込んでしまった質問が二つあった。一つは「なぜ、ここまでSMAPの解散報道は多くの人々に衝撃を与えているのか?」もう一つは「もしも5人がジャニーズ事務所から独立していたら、SMAPはどうなっていたか」。正直、SMAP解散について衝撃を受けている人のほとんどが感じていることは「ずっと続くと思っていたものが、終わるということ」に対するショックではないかと思う。

画像はイメージです
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 熱心なファンは別だが、おそらく『笑点』(日本テレビ系)や『サザエさん』(フジテレビ系)が終わると言われたとしても、同じような反応をしていただろう。一番近いのは、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が終わった時の感触ではないだろうか。

 いつの間にか、SMAPは『笑点』や『サザエさん』と同じ、永遠に終わらないものだと信じていたテレビ文化の象徴へと成長していたのだ。更にいうと、解散ショックによって、今まで当たり前の存在だと思っていたSMAPが、国民の誰もが知っているグループアイドルだったことが逆説的に証明されたように思う。美空ひばりや石原裕次郎といった昭和を代表するスターと並ぶ、平成を代表する国民的なアイドルグループだったと、言っても過言ではないだろう。


70年生まれの理想を体現していたSMAP


 ただ、ここからが本題なのだが、そういった大多数の日本人の見方とは別に、SMAPと同世代の70年代生まれの人々にとっては、解散の騒動に対しては、もっと複雑な気持ちがあるのではないかと思う。というのも、筆者自身が1976年生まれで、SMAPに対しては、彼らといっしょに年をとってきたという意識があるからだ。だから、彼らには、時に喝采を送りつつも、時に同世代のダメな部分を見せられているかのような愛憎入り混じった感情がある。

 少し細かいニュアンスの話をすると、筆者は、「夜空ノムコウ」には共感するが、「らいおんハート」は歌詞が好きになれない。「世界に一つだけの花」は薄っぺらい綺麗ごとの歌だと思っている。その意味で、先にも書いたように、彼らの芸能活動を全肯定しているわけではない。

 SMAPは中居正広と木村拓哉が72年生まれ、稲垣吾郎が73年生まれ、草なぎ剛が74年生まれ、香取慎吾が77年生まれと、いわゆる70年代生まれのメンバーで構成されている。この世代は団塊ジュニアと呼ばれている。親世代のあたる団塊の世代の次に人口のボリュームが大きい世代で、それだけに娯楽産業に対する影響力は大きい。ここ数年90年代リバイバル的な商品を多数みかけるが、それらは団塊ジュニアをターゲットにしたもので、マスを狙う娯楽の多くは彼らをターゲットにしている。それはテレビも同様だ。