一人のスターが突出するというのではなく、結果的に全員が主役のように見えるのも、SMAPの魅力だった。突出した一人のスターを回りが引き立てるのではなく、全員が魅力的に見えるグループというのは、時代の変化にも対応していたのではないかと思う。

 少年ジャンプに例えて言うと、80年代にはじまったジャンプ漫画は『北斗の拳』(原作:武論尊、作画:原哲夫)にしても『ドラゴンボール』(作:鳥山明)にしても圧倒的に強い主人公が一人いて、他のキャラクターは引き立て役みたいな構図となっていた。それに対して、90年代の人気作である『SLAM DANK』(作:井上雄彦)や『幽☆遊☆白書』(作:冨樫義博)になると、主要キャラクターの4~5人のキャラクター全員に見せ場があって、全員が個性と実力を発揮してミッションをクリアするというような感じになってくる。

 おそらくこれは、SMAPがミュージカルで演じた『聖闘士星矢』(作:車田正美)あたりから始まった傾向なのだろう。こういった傾向は『ONE PEACE』や『NARUTO』(作:岸本斉史)、『黒子のバスケ』(作:藤巻忠俊)などの後のジャンプ作品にもつながるヒーロー観の変化ではないかと思う。

 『SLAM DANK』や『幽☆遊☆白書』の主人公たちは普段は仲よく馴れ合っているわけではないが、同じ目的に向かって行動しているというある種のプロフェッショナル意識によってつながっていた。そのベタベタしないクールさと、芸能人らしくない自然体の振る舞いが90年代のSMAPの魅力だったと言える。

 かつて少年ジャンプで『東大一直線』を連載していた小林よしのりは、薬害エイズ問題で厚生省デモをおこなう大学生たちを支援する形で、彼らはイデオロギーに凝り固まった組織ではなく、同情心から集まった若者同士の「個の連帯」でつながっており、運動が終わればすぐに日常に戻るのだ。と『ゴーマニズム宣言』で語り、彼らを支援したが、当時の少年ジャンプの漫画やSMAPに感じた魅力は、まさに小林が言う組織のしがらみに縛られない「個の連帯」だったのだと思う。

 あまり自己憐憫的なことは書きたくないのだが、団塊ジュニアは社会に出る時に、就職氷河期という大きな挫折を味わっている。年功序列・終身雇用といった会社のイメージが大きく変わり、大企業の倒産やリストラの報道が出始めたのも95年以降だ。そんなこともあってか、自分たちの世代は、社会はもちろん会社組織に対しても、根本的な不信感があり、できるだけ政治的なことには関わらずに生きていきたいと思っていたし、突出した個を見につければ、組織のしがらみから自由でいられると思っていた。

 だからこそ、SMAPが体現していた「突出した個人主義を貫く5人が作り出す自由な仲間意識」はとても魅力的だった。

 スガシカオが作詞提供して、SMAP初のミリオンセラーとなった「夜空ノムコウ」は、平成不況の真っただ中で社会に放り込まれた若者たちの不安な心境が凄くよく現れている時代を反映した曲だ。個人的にも想い入れが強く、当時の不安な気持ちを思い出すので、あまり聞き返すことのない曲だが、ここで歌われていた夜空の向こう側に待っていた明日が、現在の解散をめぐるグダグダの状況だったと思うと、40代になって、もう一度「挫折」したようなやりきれない気持ちになる。

 だから、SMAP解散の報道を受けて、スガシカオが、この歌を封印すると言った気持ちは、とてもよくわかる。思えば、古いものと新しいものを知っているからこそ、双方をつなげることで社会的な役割を果たせると思っていたのが、筆者たち団塊ジュニアの強みだった。しかし、気が付けばテレビは高齢者向けのノスタルジーや、「日本凄い」というナショナリズムの物語ばかりを売り者にしている。一方で、若者はテレビに見切りをつけて、ネットでYouTuberの動画を見ているという分裂した状況となっている。この分裂がより進むことで、もしかしたら狭間にいる団塊ジュニアの居場所はどちらにもなくなってしまうのではないかという危機意識と孤独感が筆者にはある。

 現在、団塊ジュニアの多くは40代前後となりつつあるが、自分のことを振り返っても、おそらく、自分たちの世代は、分離していく日本の旧世代と新世代のどちらかに着くべきかという選択を迫られているのではないかと思う。そして、SMAPは結果的に、テレビという旧メディアの伝統を継承する立場を選択した。それはテレビといっしょに年をとっていく最後の皇帝(ラストエンペラー)となり、テレビの終わりを看取ることと同義である。