1995年12月、もんじゅで起きたナトリウム漏れ事故=福井県敦賀市
 日本では、原型炉であるもんじゅを1983年に旧動力炉・核燃料開発事業団が開発し始めた。1994年に初めて臨界を達成。世界で唯一のループ型というタイプで耐震性に優れ、西側諸国で現存する唯一の『ナトリウム冷却炉』として、世界中から注目を集めていた。翌1995年には初発電に至ったのだが、年末に二次主冷却系配管からのナトリウム漏洩事故が発生した。この配管に取り付けられていた温度計の鞘管からナトリウムが漏れたのだ。

 原因は、温度計の鞘管の形状に係る重電メーカーによる設計ミス。ナトリウム漏洩量は640kgで、このうち410kgは屋内で回収され、残りの230kgは屋外に放出された。もちろん、環境への影響は認められなかった。この過程で、ナトリウムの温度はそれほど上昇しなかったので、ナトリウムを迅速に回収し、適切に処理することは、本来は可能であった。

 しかし、当時の規制当局であった旧科学技術庁や原子力安全委員会は、『現場の保全』を指示した。このため、ナトリウム回収と処理に関する所要の対応が遅れに遅れた。しかも、二次系のナトリウム漏れ程度のことを重大事故と決め付けた上に、いわゆる「ビデオ隠し」が二度も起こってしまった。もんじゅ運営を正常に戻す機会が失われたのは、こうした規制当局の後手後手の対応や、マスコミによる煽動といった外的な複合要因による。

 その後、旧動燃事業団は別の原子力事業を行う特殊法人と統合され、JAEAへ改組された。JAEAは複数の原子炉を保有することになり、型の異なる新型炉の開発や放射性廃棄物の処理など幅広い研究を手掛けるようになった。その結果、もんじゅはJAEAが擁する数多ある研究部門の一つとして、JAEAの中で埋没した形になってしまった。こうした情勢変化の中で、もんじゅの運営責任の所在も曖昧となり、そんな状況が今にまで至っている。

 原子力規制委は昨年11月、JAEAにはもんじゅを運転する能力がないとして、所管する文科省に対して、もんじゅの新たな運営主体を決めるよう勧告をした。これを受けて文科省は、昨年12月から広くヒアリングや現地調査を行った上で、もんじゅの運営主体が備えるべき要件を抽出した報告書を今年5月末に取りまとめた。そうした混沌とした状況の中で、冒頭に紹介したような早計な報道が多発。ぜひとも拙速な結論だけは避け、じっくりと時間をかけて検討すべきである。

 ある代議士が先日、「もんじゅを今やめたら、喜ぶのは中国だ。日本の国力低下を手放しに喜ぶに違いない」と語っていた。理解している人には、焦眉の急が呑み込めている。政府は9月21日、原子力関係閣僚会議を開き、もんじゅについて『廃炉を含め抜本的な見直し』を表明した。そこでは、高速炉開発会議という会議を立ち上げ、具体策を年内にまとめていくことが決定された。

 しかし、先ずは、将来技術である高速炉サイクルと、既存技術である軽水炉サイクルを混同せず、明確に切り分けて考えることが必要不可欠だ。それができていない今の日本の『エネルギー政治』は、あまりにも弱すぎやしないだろうか。